察しの文化という足枷

 

他言語に比べて抑揚がないと言われる日本語。

 

普段話していても抑揚をつけるとか、言いたいことは強調するとか、大事なことはゆっくり話すとか、耳にすることはほとんどない。

 

ましてや自分の意見を言うときの効果的な表現方法や話し方、スピーチの仕方を習ったことは一度もない。

 

言葉や話すのはあまりに当たり前過ぎて学問の対象や努力目標になりえなかった。

 

むしろ以心伝心や空気を読むなど、まるでテレパシーのように他人の感情や言いたいことを「察する」ことが求められ、それができない人は村八分にさえされてきた。

 

急速なグローバル化に伴いコミュニケーションの大切さがクローズアップされ、自分の意見や考えを明確に伝えられることが望まれている。

 

察しの文化が足枷にならないように、

 

我々の強みと目指すべき姿を今一度確認したい。