自分で書いておきながらすぐに否定するのもなんなんだけれど、
本当のことが不在なのではなく(本当のことの不在 - おもしろきこともなき世をおもしろく)、
人々は解釈ばかりを探し続けて本当のことを追求することを忘れてしまっているのではないかということ。
解釈とは翻訳であり、言い換え。
それらは受け取り手によって変わり、その手が増えれば増えるほど、本当のことからどんどん遠ざかっていく。
解釈が山ほど積まれても本当のことには1ミリも近づかない。
その無意味さに呆れて、疲れて、忘れてしまう。
解釈の山はもう要らない。