淘汰の波

 

淘汰の波が押し寄せている。

 

粛清の嵐が吹き荒れている。

 

インターネットという牽引車が轟音、爆音を上げて突き進んでいる情報社会は、個人にとって、社会にとって不要なモノ、非効率なコトをもの凄い勢いで洗い出し、炙り出している。

 

槍玉に上がる企業や個人は吊るし上げられ、叩かれ、あっという間に社会という舞台から降ろされる。

 

時折行き過ぎ、やり過ぎだと感じられることもあるけれど、淘汰の波の勢いはもう誰にも止められない。

 

それが理想の社会というゴールを目指しているのか、効率性だけが求められる自由のない管理社会を目指しているのか、

 

それは誰にもわからない。

 

わかっているのは淘汰の波に飲み込まれてはならないということだけだ。

 

麻薬の利用や反社会勢力との関係はもちろんのこと、セクハラもパワハラも権力の集中も特別背任罪も。

 

ブレない

 

これを食べると決めているのに注文の直前で変えてしまう。

 

これを話すと決めているのにその場の流れを汲んで違うことを言ってしまう。

 

これをすると決めているのに様々な状況の変化に対応するうちに方向転換してしまう。

 

流れに任せてフレキシブルに対応すると言えば聞こえはいいけれど、状況が変わる度に考え方も行動も変わるのは軸がブレブレの可能性が高い。

 

きしめんを煮込みうどんに変えるくらいならいいけれど、時間をかけて決めた計画や行動規範を簡単に変えたら決めた価値がない。

 

それが自分で決めたものであれば尚更だ。

 

ブレない!

 

やり通す!

 

これを自らに言い聞かせて歩んでいく1年にしたい。

 

 

本気でやる

 

今年度から社会人として働き始めた人たちにこんな言葉が贈られた。

 

「仕事を楽しむ魔法の言葉を知っていますか?」

 

「それは『本気でやる』です。」

 

「与えられた仕事をこなすのも一つのやり方ですが、本気でやることで面白さが変わってきます。わからない、できない時には必死になるし、それができるようになった時の喜びはひとしおです。そして、何よりそれが自分の力になり、チームの力になり、より大きな組織や社会の力に変わっていくのです。」

 

「今日から社会人になられる皆さん、是非、何事にも全力で、本気で取り組んでみて下さい。」

 

明日からまた本気でやろうと思った。

 

 

令和

 

元号が「令和」に決まった。

 

安倍首相が会見で「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」と語り、初めて日本の古典(万葉集)から引用された。

 

予想が外れた、「令」(れい)は如何なものか、「和」はまたか、Rは意外等等、議論は喧しいけれど、決まったものは受け入れるしかない。

 

とは言え、外務省は西暦利用を検討している等、当分は令和狂想曲は鳴り止まないに違いない。

 

個人的に感じるのは、一つの節目が終わりを告げ、新しい時代を迎えるのに天皇崩御をきっかけにしなくてよかったということ。

 

人気グループ金爆ことゴールデンボンバーが早くも令和をテーマにしたミュージックビデオをネットにアップしたり、ウィキペディアに言葉が載ったり、イベント化もされやすく、元気活気が生まれるというもの。

 

令和、レイワ、Reiwa・・・

 

繰り返して言ってみれば、確かに未来感がしてこないでもない。

 

新しい時代の幕開けは元号で決まるものではなく、自らするつもりでいれば、それでいいのだ。

 

あとは平成の残り1ヶ月をどう過ごすのか。

 

それを真剣に考えればいい。

 

王道を行く

 

迷路に迷い込み、あちらへ行っては行き止まり、こっちに戻ればスタート地点、ぐるぐる回っている。

 

下手に欲をかくからかもしれない。

 

下手に効率を求めるからかもしれない。

 

下手に格好良く見せようとしているからかもしれない。

 

誰かに勝とうとするのではなく、

 

誰かからの批判に反応するのではなく、

 

他者からの評価を気にするのではなく、

 

王道を行けばいい。

 

我が道を行けばいい。

 

自分のやり方で。

 

明日からまた新しい1年が始まる。

 

なんだか禁止

 

とあるクリニックの窓口近くに「なんだか(なんか)禁止」と書かれたメモを発見した。

 

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妙に気になって、暫し考えてみる。

 

メモは言うまでもなくスタッフに向けての注意喚起である。

 

医療現場でうっかりやヒヤリハットを起こさぬよう意識を高めるための一手法。

 

それはわかる。

 

他方でそれにしてはもう少し直接的な言葉やわかりやすい標語の方がいいのではとも思う。

 

とは言え、こうして考えさせることを狙ったのであれば、まさに狙い通りだ。

 

「なんだかなぁ」

 

そうつい口走っている自分に気づいて、そう言っている間は立ち止まって何もしていない自分がいる。

 

想いや考えを明確に持たなければ行動には繋がらない。

 

「なんだか」と言う中途半端な思考を禁止する先を垣間見た気がした。

 

 

新元号を考える

 

あと1ヶ月と数日で平成が終わる。

 

4月1日の11時30分に新元号が発表されるニュースが流れた。

 

小学校を卒業したばかりの娘の最後の課題の一つが新元号を考えるでこんなやり取りをした。

 

「波華(はか)はどう?」

 

「字は綺麗なんだけど、音がなあ。」

 

「どうして?」

 

「だって『墓』に聞こえるよ。死を連想させるのはよくないよね。」

 

「そっか。じゃあ、華雨(かう)は?」

 

「ん〜  雨って字は、あまりよくないかな。雨は稲作にはなくてはならないけど、なんか悲しいよね。」

 

「そっかあ。もうちょっと考えてみる。」

 

そうして出てきたのがこれ。

 

華楽(からく)元年

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これをきっかけに家族で考えてみようとなった。

 

上に書かれている注意点以外にもローマ字書きした時の頭文字がM(明治)、T(大正)、S(昭和)、H(平成)にならないのも大事なポイントなんだとか。

 

過去の元号や漢字の謂れまでは調べられなかったものの幾つか良さげなものが出てきた。

 

光来(こうき)元年

陸明(ろくめい)元年

和栄(わえい)元年

 

来光(らいこう)元年

永和(えいわ)元年

大世(だいせ)元年

 

律世(りっせ)元年

千代(ちよ)元年

勇来(ゆうき)元年

陽明(ようめい)元年

 

どこかのお偉いさんが考えたものを単に受け入れるだけでなく、自分で考えることの大切さを思った。

 

新しい元号は子どもたちの時代となる。

 

華やかで楽しい時代になってもらいたい。