一つひとつの仕事に、
メールに、発言に、ミーティングに全力を尽くす。
それを、自分の、仲間の、組織の成長に繋げられるようにする。
その結果、
自分の軸が、仲間の軸が、組織の軸が太くなる。
強くなる。
ぶれなくなる。
そう信じている。
一つひとつの仕事に、
メールに、発言に、ミーティングに全力を尽くす。
それを、自分の、仲間の、組織の成長に繋げられるようにする。
その結果、
自分の軸が、仲間の軸が、組織の軸が太くなる。
強くなる。
ぶれなくなる。
そう信じている。
器に大小はあっても注ぎ続けたらいつかは溢れてしまう。
溢れるときには溢れるのは自明の理。
溢れる前に、
飲み干してよし、
別容器に移して保存するもよし、
いっそ穴を開けて永遠に溢れることがないようにするのもいいかもしれない・・・
イライラの原因はあるべき形になっていないから。
知らず識らずのうちに自分の価値観に相手を合わせようとしたり、無意識のうちにこうあるべきと思い込んだりするためにその差分が気になってしょうがない。
欠けている部分ばかりが目についてしまう。
いつの間にか完全を求めている自分がいる。
完全に丸い石が自然界に存在しないように完全な人間なんて存在しない。
川縁にある石がみな凸凹しているように誰もが凸凹している。
それが当たり前なのになぜ完全な石を求めるのだろう。
完璧さを求めて傷つくのだろう。
今のままで完全だと思えばいい。
長所を見るのではなく、ありのまま、今のままで完全であると思うことが、幸せの根源であり、秘訣なのかもしれない。
不完全という完全さを楽しもう。
難しい言葉や表現を好んで使う人がいる。
頭の良さをひけらかしているのか、流行り言葉に敏感でいたいのか、はたまた自分の世界を切り開こうとしているのか。
大事なのは受け手のことを考えているか否か。
相手の世界観を言葉や観念で拡げようとしたり、考えや価値観を深めようとしているのなら問題はない。
受け取り方によって捉え方も異なるのだろうが、自分の知識や頭の良さをひけらかしたいだけの人もいる。
傾向を辿ってみるとそういう人は大抵頭が良くても誠実さに欠けるところがあり、器の大きな人とは言い難い。
難しい言葉を好んで使う人がいたら、言葉の意味を調べるよりも何が目的なのかを先に探る方が学びが多いかもしれない。
青空が広がる日曜日に北欧の市場へ出掛けた。
https://tachikawaloppis.com/#marche
いつもより時間がゆっくりと流れている気がした。
いつか本物の北欧を旅したい。
その予行演習に??
楽しい一日となった。
言葉ではなく、
行動で表現する
背中で語る
生き様で伝える