タラントの譬

タラントの譬(たとえ)



新約聖書のマタイによる福音書25・14〜30にあるたとえ話である。



「もし私たちが、自分が今持っているものを、たとえそれがどんなに小さなものにみえようとも、誤って用いたり無視したりしたならば、それによって私たちは、自分がそれを価値のないものだと見なしていていることを表明したことになり、やがて、それさえも取り上げられてしまうことになる。」(「原因と結果の法則」より)



ということ。



何かを手に入れたいと思った時には、それが新しいものであればあるほど、自分にとって価値があると思われるものほど、それを欲する気持ちが強く、その結果として現在手にしているものをなおざりにしてしまいがち。



それは未来を生きようとすることの弊害ではないか。



今持っているものに愛情を注がず、注意も払わない。それは今を、今の自分を軽視することに他ならず、その先に明るい未来がないことは容易に想像できる。



今自分が持っているモノを改めて見直そう。



今自分と一緒にいる人たちを改めて見直そう。



今自分がいる場所を改めて見直そう。



今の自分を改めて見直し、



今ここに存在することを感謝することから始めなければ、



何も始まらないことに気づいた。