遠慮という美徳

 

一昨日、昨日と二日に渡って遠慮という日本人の美徳に汚名を着せてきた。(遠慮という罠、遠慮という大罪)

 

本来、遠慮とは、

 

人に対して、言葉や行動を慎み控えること。

 

自分よりも他人や周り、全体を優先する「利他」の行為。

 

誰かに気づかれなくとも自分で犠牲を払い、全体の利を優先させる。

 

誰にも気づかれることなく、遠くから配慮する。

 

それが、

 

弱さの隠れ蓑でなく、

自分を良く見せようとする下心でもなく、

自分の可能性を押し殺すこともない、

 

のであれば、

 

「遠慮という美徳」という僥倖に遭遇した暁には、

 

その人の徳に心から敬意を払いたい。

 

感謝の気持ちを遠慮なく伝えたい。

 

伝えればよい。

 

自分中心になることなく。