我慢が必要な時。
特にこんな不透明で不条理で不可思議な時代には我慢は当たり前のように求められる。
改めて我慢とは何かと調べてみた。
我慢とは、耐え忍ぶこと。辛抱すること。
我慢は、仏教語で七慢のひとつで、サンスクリット語「mana(マーナ)」の漢訳。
仏教で「慢」は、思い上がりの心をいい、その心理状態を七つに分けたものが「七慢」である。
その中の「我慢」は、自分に執着することから起こる慢心を意味し、「高慢」「驕り」「自惚れ」などと同義語であった。
そこから意味が転じ、我慢は「我を張る」「強情」などの意味で使われるようになった。
さらに、強情な態度は人に弱みを見せまいと耐え忍ぶ姿に見えるため、近世後期頃から、現在使われている我慢の意味となった。
元々は高慢や驕り、自分への執着心からきた言葉という。
本来、我慢なんてする必要はなく、むしろしない方が良い。
こんな不透明で不条理で不可思議な時代だからこそ本来の自分を曝け出せば良い。
同じように我慢の本質を暴き、捨て去って仕舞おうではないか。
我慢から自由になる。