南十字星になる

 

ここ数日絶対的なこと、北極星でいることについて書いている。(相対<絶対? - おもしろきこともなき世をおもしろく北極星になる - おもしろきこともなき世をおもしろく

 

それはとどのつまり「ぶれない強さ」を多くの人が求めているということ。

 

何かがあるごとに右に左に揺れるのではなく、微動だにしない。そんな強さや重さに人は惹きつけられ、信頼し、想いを寄せる。

 

それはちょうど大航海時代に航海士たちが正確な南を指し示す南十字星を見上げて進むべき方向を確認し、安心するのと似ている。

 

現代社会においても複雑化する社会的や洪水のように溢れる情報、多過ぎる選択肢に自分や向かう方向を見失っている人が多いことの証左ではないか。

 

何があってもなくてもぶれない強さを身につけることが誰かの道標になり、心のアンカー(錨)になるのであれば、

 

南十字星になりたい。

 

なればいい。

 

南十字星になる。

  

北極星になる

 

昨日のブログで人は時に相対的なものよりも絶対的なものを信じたくなる時があると書いた。(相対<絶対? - おもしろきこともなき世をおもしろく

 

状況に応じてフレキシブルに対応する柔軟性よりも、何が起きても起きなくても変わらない鉄板のような絶対的なものを望む時があると。

 

それは古代の人が旅をする時に頼りにしたという北極星のようなものかもしれない。

 

季節や位置によって見え方が変わる星座ではなく、常にそこにあって一人輝いている存在。

 

北極星になりたいと思った。

 

北極星になればいい。

 

北極星になる。

 

 

相対<絶対?

 

最近よく感じることの一つがこれ。

 

相対的ではダメで、絶対的なことが求められているのではないか。

 

川の流れに身を任せるのもいいけれど、時にはどんな荒波にも逆流にも負けず向こう岸に辿り着く、そんな固い意志を持つ必要があるのでは、と。

 

もちろんケースバイケースなのだろうけれど、川の流れに身を任してどこに辿り着くのかわからない、という相対的なことではなく、まずは辿り着くゴール(この場合は向こう岸)を明確にして、旗を掲げ、チームワークをフル稼働させて一丸となってゴールに向かって進んでいく。

 

そんな絶対的な力、物事を進める力が求められているのではないか、と。

 

もしそれをリーダーシップに喩えるならば、個々人の特長や力を考慮しながら動く調整役的なリーダーシップではなく、理想を掲げ、何が起こっても、何が足りなくても一切の迷いを見せずにチームのメンバー全員を引っ張っていくような、そんな昔ながらのリーダーシップが求められているのかもしれない。

 

模索は続く・・・

 

自慢の匂い

 

誰かが自慢をし始めると急に居心地が悪くなる。

 

不思議なものでその感覚は皆が同じように持つようで、立ち去れる人はそっと居なくなるし、難しい時も他のことをし始めたり、失礼にならない程度に話を他の方向に変えようとしたりして自慢の匂いを消そうとする。

 

最近になって、社会的に・・・と言うと大袈裟かもしれないけれど、口臭が気になったり、体臭が問題視されたり、ソーシャルマナーの中でも匂いについて多くの人が敏感になっていて、その分、ケアに力を入れるようになってきた。

 

自慢の匂いにも同じように敏感になって、ケアができるようになればいいと思った。

 

 

春の風物詩

 


今日は今週末から始まる怒涛の仕事に向けてお休み。

家事と読書とゆったり流れる時間を楽しんだ。

お昼は丸亀製麺であさりうどん(大盛り)。

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23個も入っていた! お汁が優しくて癒される。

帰り道、入学式帰りのたくさんのピカピカの一年生とスーツや着物姿のお父さんお母さんたちを眺めながら一人和む。

午前中いっぱいでするべきことを片付けたら午後からは本を読んだり、子どもと遊んだり、春眠をむさぼったり・・・それからちょっと仕事をしたり。

 

晩御飯は春休みの宿題をラストスパートで仕上げた中2の息子の要望で手巻き寿司をした。

 

そこに添えたのはあさりバター!

 

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秋感は失われつつあるけれど(秋感の消失 - おもしろきこともなき世をおもしろく)、春はまだ健在だ。

春の風物詩を堪能できたいい日になった。

 

追伸

あさりは美味しいだけでなく、鉄分をはじめ様々な栄養分を含んでいて貧血や糖尿病対策にもなるのだとか。