わがままではなく、
決して自分のことだけで精一杯なのではなく、
一隅を照らそうとしているのだ。
誰かが自分勝手だと感じた時にはそう思い出したい。
一人でも多くの人が一隅を照らすことで世界はより明るくなるのだから。
わがままではなく、
決して自分のことだけで精一杯なのではなく、
一隅を照らそうとしているのだ。
誰かが自分勝手だと感じた時にはそう思い出したい。
一人でも多くの人が一隅を照らすことで世界はより明るくなるのだから。
「風の電話」をご存知だろうか。
東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県大槌町の海岸の小高い丘に電話ボックスがある。
「風の電話」と名付けられたダイヤル式の黒電話に線は繋がっていない。
にもかかわらず多くの人がその電話を訪ねては震災で亡くした愛する人たちに次々と話しかけるのだという。
設置したのは佐々木格さんという方。亡くなった従兄弟と話したいという想いから自ら電話ボックスを用意したのだとか。
「亡くなってしまえば、あとは繋がることはできない。残された遺族にとっては絶望だけが残る。なんとか亡くなった遺族が繋がる方法はないかと考えていたところそのときに考えついたのがこの風の電話だった」
電話とともに置いているノートには亡くなった人への想いが綴られている。
ハーバード大学の「命を考える授業」で愛する人を失くすというのはどういうことなのか、命の大切さとはどういうことなのか、を考えるためにこの「風の電話」が来年度題材になる。
風の電話を通して愛する人と繋がろうとする人たちはただ単に寂しさや悔しさ、辛さを和らげるためだけではなく、自分の中に溜め込んだ様々な想いを言葉にしたり発したりすることで死と向き合うことができたり、受け入れることができるという理由もあるのではないか。
自分の中に渦巻いている複雑な想いを言葉という形にし、自分の外に一旦出すことによってリセットされるという効能もあるのではないか。
震災で亡くなった方のご冥福をお祈りするとともに残された人たちがこれからも一歩一歩前を向いて歩んでいけることを心から願っている。
明るい照明も暖房もガスも水道もない。
テレビも電子レンジもふかふかの布団もない。
あるのは一家団欒の温かさだけ。
それがキャンプの真髄。
雨露をしのぐ家を自らの手で建てる。最低限の生活をするための道具を広げる。並べる。照明に火を灯して、食事の支度をして、ベッドメーキングをする。
普段なら当たり前のようにあるものがない。
それ故に一から準備しなければならない。いつもなら自分一人でできることを家族と分け合ったり、力を合わせたりして作り上げていかなければならない。
そうして生活を成り立たせていく。
その不自由さを満喫する。
それがキャンプの醍醐味であり、
普段の便利な生活の真の価値を感じ取れる貴重な機会でもある。
次はいつどこへ行こう。
ビールにゴーヤに銀杏(ギンナン)・・・
苦いものを大人はこぞって嗜好する。
「銀杏をどうして食べるのか全然わからない。あんなに苦いのに」
とは小学5年生の娘の弁だ。
近くのスーパーで見つけた銀杏一パック128円を買って家でビールのアテに食べていた時のこと。
人生は苦いもの
そのテーゼを大人は実体験するからこそ苦いものに人生の深い味わいを感じられるからではないか。
そんな気がした。
甘い夢ばかり見ている子どもたちにはわからない奥深い世界なのだ。