モチベーション無限論

 

モチベーションは必須で成功の源。

 

昨日のブログで書いた通り今日はどのようにしてモチベーションを上げるのか、保つのかを真剣に考えてみたい。

 

モチベーションを上げる効果が考えられるものたち。

 

  • 好きなことをする
  • 進歩が感じられることをする
  • 手に届く目標を立てる
  • 小刻みな目標を立てる
  • 達成感を感じやすい目標を立てる(小さな成功体験を積み重ねられやすいように)
  • 変わり続ける(マンネリにらならないように)
  • 他者の力を借りる(何かをすると宣言して周りからのプレッシャーを力に変える、達成した時の賞賛をやる気に変える)
  • ご褒美を用意する
  • まずは手をつけてみる(5分だけ、1分だけやってみる) 
  • いたずら心、遊び心を忘れない
  • すること、やることが叶った自分や世界を想像する
  • 何かを集める、コレクションの観点を加える(大きなものの一部であると感じる)
  • 休憩する
  • 深呼吸をする
  • 寝る
  • 体調を整える
  • 体を鍛える
  • 好きな人と一緒にいる
  • 尊敬する人を見つける
  • 自分で決めたことを紙に書き出し、毎日見る

 

誰かにスイッチを押されるのを待つのではなく、自分で自分のモチベーションを上げるスイッチを押せばいい。

 

そのスイッチを自ら作っていけばいい。

 

無限に。

 

 

モチベーション必須論

 

モチベーションは必要だ。

 

モチベーションはなくてはならないもので、何かを成し遂げるために必須の燃料と言える・・・

 

と、一昨日昨日とは正反対のことを今日は宣いたい(のたまいたい)。

 

と言っても、これまでの主張を完全否定するわけではなく、「ホームにする」「習慣化する」ことが何かを成し遂げるために必要なことは変わりなく、そのためにモチベーションが必要ということ。

 

習慣化するには意思や意志が要る。

 

工夫も要るし、モチベーションも要る。

 

無意識に、自動的に何かができるようになるまでには、繰り返しが必要で、それがホームや習慣化。

 

その前にある繰り返しができるようになるためには、やる気やモチベーションが必要だ。

 

ならば、どのようにしてやる気やモチベーションを上げるのか?

 

それは明日のトピックとしたい。

 

それが明日もブログを書くモチベーションとなる。

 

 

 

モチベーション不要論2

 

モチベーションは要らない。

 

気にする必要もない。

 

そんな極論をここ数日展開している。

 

「モチベーションが上がらないんだよなぁ」とか「どうすれば社員のモチベーションを上げられるか」とか「新卒のモチベーションを上げる企画を考えてみて」とか、最近の日本人はやる気やモチベーションを気にする人がなんと多いことか。(チコちゃん風に)

 

ここ数日のブログではホームにする(習慣化する)ことで頑張りややる気、モチベーションは必要ないとか書いてきた。

 

そもそも仕事や自己啓発やダイエットに運動と言ったようなものはモチベーションが上がるからやる、やらないというものではない。

 

仕事は何があってもなくてもするものだし、自己啓発もダイエットも運動も自分で決めたのなら自分でやるだけの話。

 

モチベーションなんていう概念を間に挟むからボヤけてしまうし、(やらないことの)スケープゴートにされてしまいがち。

 

要は、するかしないか、やるかやらないか、のどちらかしかないのだ。

 

0か1か。

 

デジタルの世界が速い理由がわかった気がした。

 

モチベーション不要論

 

やる気やモチベーションは要らない。

 

もっと言うと、頑張りや根性も必要ない。

 

そんな極論を吐きたい。

 

と言うのも、昨日の「ホームにする」の流れを受けているから。

 

走るのがホームであればわざわざ走りに行く必要はない。

 

本を読むのがホームであればわざわざ本を読もうと気合いを入れる必要はない。

 

笑顔でいるのがホームなのであればわざわざ笑顔を作ろうと意識する必要もない。

 

やる気モードに切り替える必要はないし、モチベーションにこだわったり、天気や気温を気にする必要もない。

 

ホームにさえなっていれば。

 

習慣化さえされていれば。

 

それが自分になっていれば。

 

ホームにする

 

脳科学者で有名な茂木健一郎氏は常に走っている。

 

週に何回かランニングをする、というのではなく、移動の際は常に小走りをしているという。

 

だから別の機会に「走る」必要がない。

 

別の言い方をすれば、常に走っているから走っている状態が「ホーム」であり、通常モードからさらに「頑張る」という「アウェイ」の状態がない。必要ない。

 

もっと普通に言えば、「習慣化する」ということかもしれないけれど、敵よりも味方が圧倒的に多い、地の利がある、安心して戦える、リラックスできる「ホーム」を増やすことが何よりの成功の「家」なのかもしれない。

 

ホームを増やそう。

 

 

全ては一つに

 

全ては一つにつながっている

 

そんな話を聞いた。

 

知っていること、わかっていること、意識していること、

 

はもちろんのこと、

 

決断したこと、覚悟を決めたこと、行動していること、

 

それらでさえも日々怠け心や忙しさ、暑さ寒さからチャレンジを受けていて、ちょっとでも気が緩むと決意が薄まってしまう。

 

全ては一つにつながっている

 

呪文のように唱えよう。

 

全ては一つにつながっている

全ては一つにつながっている

全ては一つにつながっている

 

その先が楽しみなり。

1月3日の東京駅にて

 

平成最後のお正月。その3日の日に東京駅に行ってきた。

 

帰省から戻ってきた人たち、旅行中の観光客、箱根駅伝を見学していた人たちでごった返している。

 

想像通りの人の多さと消費意欲の高さに圧倒された。

 

どこからこれだけの人が集まるのだろう。

 

溢れかえるほどの人たちがお土産やらお弁当やら今夜のおかずやらを買うために長い列を作っている。

 

消費する欲望に飲まれているのか、消費することが正義と勘違いしているのか、それとも単に食欲を満たそうとしているだけなのか。

 

これだけ多くの人たちがモノを買ったり、サービスを利用したりすると、それだけでビジネスが成り立ちそう。

 

もちろん競争の激しさはあろうし、コストが高いのも想像できるけれど、それでもこれだけの人が集まる理由は、儲かるからであり、利があるから。

 

人が人を呼び、カネがカネを引き寄せる。

 

ここ東京にいると、日本の中心であり、正義であり、世界の全てであるかのような錯覚さえ覚えてしまう。

 

そのには幾分の真実も含まれているのだろうけれど、何か大きなモノ、大切なコトを見失ってしまうような気がしてならない。

 

1月3日の東京駅にてそんなことを考えた。