「不安の裏返し」を察することができれば、後は堂々としていればいい。
他人の不安の裏返しも自分の不安の裏返しも同じ。
何があっても、
何かがなくても、
すべては気の持ちようであり、
すべては気のせいなのだから。
ただただ堂々としていればいい。
優しい笑顔を纏って。
それが板に付くまで。
芯に染み入るまで。
「不安の裏返し」を察することができれば、後は堂々としていればいい。
他人の不安の裏返しも自分の不安の裏返しも同じ。
何があっても、
何かがなくても、
すべては気の持ちようであり、
すべては気のせいなのだから。
ただただ堂々としていればいい。
優しい笑顔を纏って。
それが板に付くまで。
芯に染み入るまで。
声を荒げる人がいる。
怒鳴り散らしては自分の主張を叫び、他人の欠点をあげつらう。
恫喝で人が動くと勘違いし、自分の声とトーンに苛立ち負の感情を撒き散らす。
それを特定の人の問題として片付けるのは簡単だけれど、実際には普段おとなしい人でもそういう瞬間は ある。
むしろ温厚な人こそ爆発する時は怖いもの。
しかし、それはその人の本性とか負の部分と思うよりも弱さや一時的な気の迷いと捉える方がいい。
不安の裏返しであり、戦っている証。
劣勢に立たされ、それでも必死の攻防をしている最中の流れ弾だと思えばいい。
誰にでも起こることなのだから。
優しい笑顔といつも以上の素直な心と大きな心で受け止めてあげればいい。
不安の裏返しだと思って。
すべてはちっちゃなこと
昨日のブログでそう書いた。
宇宙の広大さと永遠とも思われる時間の長さから考えたらすべてのことは取るに足らないちっちゃなこと。
そんなことを思っていたら更に上手(うわて)が現れた。
この世は全部気のせいよ
なのだそう。
それでも何かがクリックしてあながち妄想ではないような気がしてならない。
それも全部気のせいかもしれないけれど・・・
心が急激に収縮していく。
締め付けられるような感覚に囚われる。
そんな時がある。
心細くなり、不安になり、自分が壊れてしまうかのような恐怖感に襲われる。
そんな時は天を仰いでこう思えばいい。
すべてはちっちゃなこと
無限の宇宙に意識を拡げ、永遠と思われるほどの時間に想いを馳せる。
ちっぽけな自分がちっちゃなことに心を砕いて更に小さな破片を作ってどうする。
そう開き直ればいい。
すべてはちっちゃなこと
すべてはちっちゃなこと
すべてはちっちゃなこと
呪文を唱えよう。