褒めて伸ばすことの是非

褒めて伸ばすことが大切と言われるようになって久しい。



それが自分自身にできているかどうかは別にして、その是非について考えてみたい。



誰かを褒めることが大切と言われるようになった背景には日本人には元来その性向がないからと考えられる。



儒教の影響もあって年長者を尊ぶという慣習が残っていて(風前の灯火ではあるが)完璧主義の傾向の下、何にでも「道」という概念を当てはめ、完璧を目指し、一つずつ上に上がっていく生き方が大好きな国民。故に今の状態に足りないものに目が行きやすく、足りないものを指摘することがいつの間にか我々の性向になってしまった。叱咤激励の叱咤の方にばかり重心が置かれていた。



一方で、欧米を中心とした考え方の代表とも言える「褒めること」の重要性が輸入され、巷に拡がってきている。



しかし、手放しに拡がった褒めるという概念がその根っこの部分を削げ落としていたために枯れ始め、その反動として叱ることの重要性が再燃し始めているということなのだろう。



とは言え、改めて考えるまでもなく褒めることと叱ることを二元論で問うことは馬鹿げている。誰がなんと言おうと両方とも大事なのだ。



褒めることも叱ることもその根っこにあるのは対象者をよく見ていなければできないことだから。民主主義とともに表層面だけの個人主義が輸入され、現代社会において他人への関わり方が希薄になってきたことが遠因だ。



人と人との関わり方をもう一度しっかり見直し、日本人としての生き方に誇りを持てるような関わり方を再構築しなければならない。



そして、



人をよく見て、関わりを強くし、状況に応じて褒めたり、叱ったりすることが当たり前の世の中にしていくことで、我々は日本人としての尊厳を少しずつ取り戻すことができるであろう。