間を埋めるために <一番辛いこと 1>

 
この世の中で一番辛いこと・・・
 
 
それは暇であること。
 
 
することがないこと。
 
 
ではないかと思った。
 
 
もちろん愛する家族を失ったり、自分自身が不治の病にかかったり、犯罪や戦禍に巻き込まれたりすることの方が圧倒的に辛い。
 
 
そんな究極の辛さではなく、日々の生活の中に隠れている辛いことを考えて浮かんできた答えが暇なことであり、することがない状態が続くとき。
 
 
と同時に、
 
 
間(ま)を埋めることが人生なんじゃないか。
 
 
そんな気がした。
 
 
観たい番組があるわけでもないのに、TVをつけたり、さして興味があるわけでもないのに雑誌をめくったり、何気なくネットサーフィンをしたり、SMSを眺めたりする。
 
 
普段から忙しい忙しいと口にするような人でも実際にしていることをつぶさに見てみると案外たいしたことをしていない時間があるもの。
 
 
人は暇を恐れ、何かしらすることを見つけては間(ま)を埋める。
 
 
時に間を埋めることが人生なのではないかとさえ思ってしまう。
 
 
昨日のブログで「生きている限り大事じゃない時期なんてないんだから」というあまちゃんからの台詞を引用して人生の全ての時間は大事だと語った。
 
 
だからこそ人は「空白の時間」(=間)を恐れ、何かしらで埋めようとする。
 
 
また別の想いが舞い降りてくる。
 
 
空白の時間(=間=大事ではない時間)を恐れないことも大事なのではないか、と。
 
 
なぜなら、何かが大事であるという状態は他の何かと比べて初めて言えること。
 
 
大事じゃないことがあるからこそ大事なことがある。
 
 
ということは、
 
 
大事じゃないこともまた大事ということになる。
 
 
非大事が大事とでも言おうか。
 
 
あ、こんな大事とは思えないことをつらつら考えて紙面(このスペース)を、人生を埋めようとしている自分がいることに気づいてしまった・・・