固定化される認識

 

昨日のブログで我々は自分が認識した世界に棲んでいると書いた。

 

逆に認識していないことは当人にとっては存在しないのも同じだと。

 

我々は自分が認識する世界を体験していて、認識しないものは体験できないし、理解もできない。

 

そして一旦認識されるとその認識はそのまま固定されやすい。

 

昨日話題にした岩手の人のコロナの認識もそうだし、自分のコロナの認識も仕事上の問題意識も世界の見方も改めて考えれば固定化されている。

 

そう言われても否定できない。

 

一度自分で貼ったラベルはなかなか剥がせない。

 

脳の構造上「上書き」(認識を変える)も得意ではなさそうで、別の器に入れ直し、別のラベルを貼る(=新しい認識をする)方が効率が良いのだとか。

 

人の認識は固定化されやすく、劇的な方法でしか変えられないと理解すべきなのだろう。

 

そこから学べることは三つ。

 

一つは最初の認識は慎重に行うこと。新しい何かを学ぶ時は一流の人から学ぶのがおすすめ。

 

二つ目は自分の認識は固定化されやすいことを意識しておく。

 

三つ目は、劇的な変化にも対応できるよう頭を柔らかく保っておくこと。

 

その考え方にもリスクがあることを忘れてはならない。