過去を自慢する理由

 

Twitterでこんな投稿を見つけた。

 

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「大変申し訳ございません。以降、気をつけます。」

 

全くもって同感である。

 

若い頃のやんちゃ話や武勇伝ばかり話す人がいる。

 

他方、話さない人は全く話さない。

 

自分が常に何を見ているのか、何を考えているのか、

 

そのチェックをするために、

 

周りにどんな話をしているのか、

 

改めて厳しい目で見直しをしてみたくなった。

 

進歩を止めぬために。

 

進化を続けるために。

 

 

引き潮の楽しみ方


寄せては引くのが波。

 

満ちれば引くのが潮。

 

攻めの後は守りの回が来る。

 

それが当たり前。

 

プラスとマイナスは常にセットになっていて、プラスばかり続くことはないし、マイナスが永遠に続くこともない。

 

昼が終われば夜が来る。

 

明るい昼だけでは一日にならない。

 

かと言って、明けない夜もない。

 

引き潮時には引き潮の愉しみがあるだろうし、守りの回に身につくスキルもある。夜の楽しみもあるし、マイナスの世界で育つものだってきっとある。

 

引き潮を悲しむのではなく、引き潮だからこそできること、楽しめることを見つければいい。

 

砂の城作りは最高だし、潮干狩りだって楽しめる。引き潮で見つかる生物たちは簡単に捕まえられるし、満潮の準備だってできるはず。

 

ないことを悔やむのではなく、あるものに目を転じればいい。

 

引き潮の達人になれれば、満ち潮ももっと楽しめるのだから。

 

 

巫山戯る特権

 

巫山戯るは「ふざける」と読む。

 

ふざけるのは子どもの特性。

 

娘のテニススクールに付き添っていると小学生、特に男の子たちのおふざけが止まらない。

 

見ていて面白いと思わないし、気持ちのいいものでもない。

 

そう感じるのは歳をとった証拠だとは思うけれど、一人でふざけて自分だけが遅れるのならまだしも周りの人たちを巻き込む姿に思わず口を挟みそうになった。

 

グッと堪えて、視点を変えてみる。

 

じっとよく観てみる。

 

すると、ふざける子は下手な子が多いことに気づく。

 

下手な子が照れ隠しにふざけたり、上手くできないがために他に楽しさを見出そうとしているだけかもしれない。要は、自衛行動なのかもしれないと思った。

 

巫女(みこ)が山で戯れるのは子どもの特権なのだ。

 

大人はもう少し寛大でありたい。

 

ギャンブルへの賭け

 

ついている時にはついているもの

 

ついていない時にはとことんついていない

 

それぞれ感じる時はあるけれど、前者を「とことん」まで感じられる機会はそうない。

 

それを感じたのは「人生ゲーム」だった。

 

そう。あの人生ゲーム。昔からあるボードゲームを家族でした時の話だ。

 

前半では言わずと知れた「専門職コース」か「ビジネスマンコース」の選択肢があって昔から誰もが専門職コースを選ぶ。リスクが明確でないのがその理由なのだろうけれど、現実世界とは大きく異なる。

 

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後半では、堅実な道を辿るかギャンブルで一発逆転を狙うかをルーレットで占うことになる。

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今回はギャンブルの道を選ぶこととなった。

 

その結果は・・・

 

な、なんと3回のルーレットで全勝!

 

こんなこともあるんだ!?

 

って感じで怖いくらいついていた。

 

たまにはギャンブルに賭けるのも「あり」かもしれない。 

 

 

負の連鎖

 

昨日のブログで汚い言葉を疲れて吐くことについて考えた。(毒を吐く2)

 

その時に気づいたもう一つの現象は、汚い言葉、呪いの言葉は吐けば吐くほど悪いことが起こるということ。言わば負の連鎖が引き起こされるのだ。

 

「悪いこと」と言っても大したことはない。急にテレビのリモコンの反応が悪くなったり、調味料が丁度無くなったり、どこかに足(小指)をぶつけてひぃひぃ言ったり。

 

その程度のことだし、偶然と言えば偶然なのかもしれないけれど、普段では考えられないほどのちょっとした不幸、「小確幸」ならぬ「小確不幸」が連続して起こるのは決して無視できない現象と言える。

 

ということは、やはり「毒を吐く」のは得策ではないという結論になる。

 

一度ならず何度も何度も連続して起こる負の要因はどう考えても個々の負の要因がまた別の負の要因を呼び寄せている、引き起こしていると

考えざるを得ない。

 

この負の連鎖を断ち切る一番の方法はいたってシンプル。

 

まずは負の要因を作らないこと。

 

負の言葉を吐かないこと、呪いの言葉を使わないこと。

 

独りの時なら許されるではなく、どんな時も。

 

それが単なる道徳論ではなく、自分にとって良いことだから、得になることだから。

 

そう信じて負の連鎖撲滅運動を独りで開催したい。

 

 

毒を吐く2

 

腹が立って腹が立って腹が立って、

 

汚い言葉を口にする。

 

そういう時もある。

 

せめてもの自制心はそれを他人にぶつけないこと。

 

そんな時、呪いの言葉は、とどまることを知らず、次から次へと出てくる。

 

一人で良かったと思う瞬間だ。

 

自分の内側に留め切れず口から出てくる言葉は書くのもおぞましいほど。

 

その分出せば出すほどスッキリする。

 

毒を吐いている証拠だ。

 

ふと我に返るとお腹が減っていたことに気づく。

 

仕事が立て込んで、いろんなことが重なっていつも以上に疲れていたことに気づく。

 

美味しいもので腹を満たしてぐっすり眠る。

 

翌朝にはすっかり笑顔に戻っていた。

 

そんな日があってもいい。

 

 

毒を吐く - おもしろきこともなき世をおもしろく

 

 

 

 

こんなもんじゃない2


昨日のブログで知らず識らずのうちに自分で自分を縛り付けていることを書いた。

 

自分で決めた限界、自分で設定した世界に囚われ、それが当たり前になる。

 

その危険性について考えた。(当たり前という呪縛

 

本当はマインドセット、意識の持ちようでいかようにもできるにも拘らず。

 

まずはどうなりたいのか? どんな自分像を描くのか?なりたい姿はどんな自分なのか?

 

それをできるだけ具体的にイメージしてみる。言葉にしてみる。数値化してみる。

 

現実的なことは考えない。どうしても頭を過って「そんなの無理」という思いが込み上げてきたなら、あくまでゲームと思って書き出してみる。

 

大事なのは「こんなもんじゃない」という自らを信じる気持ち。根拠があろうがなかろうが一途にそう信じて、何が必要なのか、何をすればいいのか、何をしたいのかを考え、ひたすら行動する。

 

ただそれだけ。

 

そういう人が増えていけばこの国はもっともっと元気になるはず。

 

「こんなもんじゃない!」

 

「まだまだ行ける! まだまだやれる!」

 

そう唱えて前進し続けよう。

 

 

こんなもんじゃない