当たり前という呪縛

 

自分の生きている世界が当たり前になる。

 

することも会う人も住む場所も収入も今が基準になって少し良くなったり悪くなったりしては一喜一憂する。

 

それが普通。

 

改めて、周りの世界を見回してみると、

 

溢れ返らんばかりの外国からの観光客が世界中から来るようになっている。

 

それはとどのつまり世界中の人々が海外旅行をできるようになったということ、しかも極東と呼ばれる地域に、日本という国にわざわざ来るほど裕福になった証拠。

 

翻って考えると我々日本人は果たしてそれだけ世界を見に行っているだろうか。それだけ稼いでいるだろうか。それだけ好奇心を掻き立てているだろうか。

 

当たり前になってしまった少子高齢化も縮小経済も吹き飛ばせばいい。

 

当たり前という呪縛から自らを解き放てばいい。

 

我々は我々の潜在能力を見くびってはいけない。

 

そんなことを強く思った。

 

我々はこんなもんじゃないと。

 

 

 

時間よりもお金よりも

 

時間よりもお金よりも大切にすべきことがある。

 

したいことがある。

 

何かを選ぶとき、判断するとき知らず識らずのうちに時間や費用が頭をかすめる。

 

それが制約になる。

 

それが当たり前と思っているうちは自ら自分を時間やお金で縛っている証拠。

 

自分が何をしたいのか、何を求めているのか。

 

それを純粋に追求すればいい。

 

そのために時間やお金を気にしなくていいように。

 

それが真の自由だという気がする。

 

翼を得ることだと。

 

翼をください

 

自ら翼を広げればいい。

 

 

永遠の環

  

普段何気なく描いている「丸」には始まりも終わりもない。

 

それはそのまま「永遠」を表す。

 

そんな話を聞いた。

 

物事には常に始まりがあり、何であっても一旦始まれば、いつかは終わりが来るもの。

 

それが当たり前だと思っていた。

 

そんな考え方が「在る」ならば、「永遠」という概念が「存在」しても何らおかしくはない。

 

人の存在が生と死という有限なものであったとしてもそこで生み出されるもの、約束、観念は永遠に続いていく。

 

素敵な考え方だと思った。

 

近くに見える海と遠くに広がる青空を眺めながら「永遠の環」について想いを馳せた。

 

 

腰椎を立てる

 

腰椎(ようつい)を立てる

 

これが良い姿勢、ぽっこりお腹、疲れやすさの解消の鍵だと断言していい。

 

腰椎とは腰骨のこと。

 

それが寝ていたり、斜めになっていたりする状態はよろしくない。

 

尾骶骨のすぐ上のところから地面に垂直に腰椎(腰の骨)を立てるイメージで座ったり、立ったりすることで様々な体調改善に効果がある。

 

と言っても、全ての問題が解消されたわけではないし、実際、意識したからと言って自動的にできるというわけでもない。姿勢良く座っていてもお腹を引っ込めたり、呼吸の仕方に気を配る必要があってなかなか簡単ではないのが正直なところ。

 

それでも正しい軌道に乗ったのは何故だか感じる。

 

「腰椎を立てる」

 

頭から首から腰を抜けてかかとまで一直線になる。

 

そうすることでいろんなことが直っていく、

 

まさに首尾一貫だ。

 

その思いを持ってこれからも頑張っていきたい。

 

 

他人の目

 

行きつけのお店に行くとマスターに「最近忙しいんですか?」と尋ねられた。

 

「まあまあですね」と返すと、「疲れてる風なんで」と言われ、少なからずショックを受けた。

  

疲れてるんだ、と。

  

自分ではそれほどではないつもりだったけど、誰かにそんな風に指摘されるなんて、

 

ホントに疲れてるんだと、

 

これではいけない、

 

そう思った。

 

他人の目ばかり気にするのはどうかと思うけれど、他人の目を自分の目として使うのならそれは大いに「あり」だ。

 

3つ目、4つ目、5つ目・・・

 

他人の目を自分の目として複眼化する。

 

より多くのものをより多くの角度からより重層的に観ることができるように。

 

自分だけでは見えないものを見えるように。

 

車窓に反射する自分の顔を見て想いを強くした。

 

 

寂しくても

 

寂しくても悲しくはない

 

新しく生まれ変わるのだから。

 

 NHKの朝の連続テレビ小説ひよっこ」で谷田部みね子が無くなってしまう工場のことを考え、悲しいと言うと、愛子さんが返す。

 

そして、こう続ける。

 

「そこに何かが生まれることは素敵なことだよ。新しい場所でまた誰かと誰かが出会ったり、暮らしたり、働いたりするんだから。ここで私たちが出会ったみたいにね」

 

そう。

 

寂しくても悲しくはない。

 

新しい出逢いが生まれることにわくわくすればいいのだから。

 

 

 

 

日々是好日

 

日々是好日

 

昨日のブログでその言葉を書いた。

 

改めて調べてみると意外にも解釈は色々あってそのどれもに強く心を揺さぶられる。

 

禅語に親しむ 

 

www.daruma.or.jp

 

日々是好日って何? 相田みつを氏の心に残る言葉、

 

 

ここでその一つひとつを解説するつもりはないけれど、

 

「毎日があるだけでいい日なのだ」

 

ということと、

 

「毎日をいい日にするために自分にできる最高のことをする」

 

それに尽きる気がする。

 

今日もいい日になっただろうか。

 

明日もいい日にできるように、

 

精一杯生きよう。