違和感というセンサー

 

「違和感があるんですよね」

 

流行り言葉のように誰もがその言葉を口にする。

 

世の中がデジタル化され、数値化され、データ化され、誰もがわかる数字で客観的に現象を語るのが当たり前になりつつある世界で主観以外の何ものでもない感覚を堂々と語る人たちがいる。

 

前提となるデジタル化社会、データ至上主義が発展途上であり、まだ浸透し切っていないというのはあるだろう。

 

しかし、違和感という言葉を使う人たちはどうも確信犯という気がしてならない。

 

データドリブンな世界が出現し始めているのを知った上で敢えて感覚に頼る、それを問題提起し、異なる視点を、大切に何かを想起させようとしているのではないか。

 

違和感というセンサーを磨きたい。

 

直感と論理をつなぐ思考法 VISION DRIVEN

直感と論理をつなぐ思考法 VISION DRIVEN

  • 作者:佐宗 邦威
  • 発売日: 2019/03/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

天気とともに

 

7月の後半になっても一向に雨が止む気配がない。

 

昨夜東北を襲った記録的な大雨は最上川を氾濫させ、大きな被害をもたらした。

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/edf6e24eebcb59a776a80a0f60e048a31d1f4d63

f:id:norio373:20200729095659p:image

 

先週末に新開誠監督の「天気の子」を観た。

 

天気の子

天気の子

  • 発売日: 2020/03/04
  • メディア: Prime Video
 

 

人柱を失った天は怒り狂っているのかもしれない。

 

いや、文明の進化や経済的発展という大義名分をかざして傍若無人に振る舞ってきた人間に地球という天体が自衛しようとしているだけなのではないか。

 

コロナもその一つに過ぎないとしたら・・・

 

それでも我々は、天気とともに、"Mother Earth"とともに生きていくしかない。

 

天気の子であり、地球の子なのだから。

 

Weathering with you

 

https://www.google.co.jp/amp/s/gamp.ameblo.jp/eigocoachkyoko/entry-12576962123.html

捨てる勇気

 

絞る勇気、削る勇気、捨てる勇気が欲しい。

 

エッセンシャル思考で真に大切なものだけに集中するためにはそれ以外のものは切り捨てなければならない。

 

まだまだ言いたいこと、伝えたいことが多過ぎる。

 

あれも大事、これも重要、それも大切・・・

 

それではゴールが定まらないし、

 

視界はぼやける。

 

明確な目的地がなければ、全力疾走はできない。

 

捨てる勇気を持つ。

 

最も大切なものを得るために。

 

 

ノイズを消す

 

万物の大半はほとんど価値がなく、ほとんど成果を生まない。

少数のものだけが非常に役立ち、大きな影響力を持つ。

 

ーリチャード・コッチ(起業家、コンサルタント

 

すべてのものに意味があり、価値があり、何らかの役割がある。

 

そう考えていた。

 

他方ですべてものに価値があるのではなく、むしろほとんどのものには価値も意味もなく、それらを切り捨てて、真に価値あるものに集中することが大切。

 

そう語る本に出合った。

 

 

本の中ではエッセンシャル思考と非エッセンシャル思考を端的な例を挙げて説明する。

 

エッセンシャル思考

  • 大多数のものごとが不要だと考える
  • 決定的に重要なことだけをとる
  • 何をとり、何を捨てるか?
  • ノイズのなかのシグナルを探す
  • 語られないことに耳を傾ける
  • 情報の本質をつかみとる
  • 良くすることは、何かを削ること
  • 境界線を引くことで本当の力が発揮できる
  • ノーと言わなくてもいいようにあらかじめルールを設定する
  • 最悪の事態を想定する
  • 準備と計画に全力を注ぐ
  • 正しい習慣を通じて自然に達成する
  • 重要なことをやるのが普通の状態

 

非エッセンシャル思考

  • 大多数のものごとが重要だと考える
  • どの選択肢も平等に扱う
  • 両方できるさ
  • どうすれば全部できる?
  • 声の大きい意見に反応する
  • 話のすべてを聞こうとする
  • 情報の渦に呑み込まれる
  • あらゆる細部に愛着がありすぎる
  • 境界線は自分の力を制限するものだ
  • 毎回ノーと言うのに苦労する
  • 最善のケースを想定する
  • 土壇場にならないとがんばらない
  • 火事場の馬鹿力に期待する
  • 重要なことをやるのは例外的

 

進化のためにこれまでの考え方を変える。

 

ノイズを消す。

 

ステージクリアのために

 

新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない。

 

東京都で今日も239名の感染が判明し、これで6日連続の200人超えだ。

 

東京だけでなく、全国の至る所で過去最高の感染者数を記録し続けている。

 

これからどうなるのだろう。

 

どうするのだろう。

 

改めて考えると怖くなる。

 

と同時に、冷静になる自分もいる。

 

恐怖という感情は本能。

 

それを理性でコントロールする。

 

できる。

 

想いを巡らせる。

 

今いる場所には意味がある。

今起こっていることには意味がある。

今一緒にいる人たちには意味がある。

 

これまでも学ぶべきことを学んだら次のステージに移ってきた。

 

今いる場所、今起こっていること、今一緒にいる人たちと学ぶことは何?

 

コロナは我々に何を教えようとしている?

 

ステージクリアのための攻略本は自分の中にしかない。

 

大きな岩

 

ある大学でこんな授業があったという。

 

「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。

 

「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。

 

「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利を取り出した。

 

そして砂利を壺の中に流し込み、ツボを振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。そしてもう一度聞いた。

 

「この壺は満杯か?」学生は答えられない。

 

一人の生徒が「たぶん違うだろう」と答えた。

教授は「そうだ」と笑い、教壇の下から砂の入ったバケツを取り出した。

 

それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。

 

「この壺は満杯になったか?」

学生は声を揃えて、「いや」と答えた。教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと水を注いだ。彼は学生に質問を投げかける。

 

「僕が何を言いたいのかわかるだろうか?」

 

一人の学生が手を挙げた。

「どんなにスケジュールが厳しいときでも、最大限の努力をすれば、いつでも予定を詰め込むことは可能だということです」

 

「それは違う」と教授は言った。

「重要なポイントはそこではないんだよ。この例が私たちに示してくれる真実は、大きな岩を先に入れない限り、それが入る余地は、その後二度とないということなんだ」

 

君たちの人生にとって「大きな岩」とは何だろう、と教授は話しはじめる。

 

それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり、自分の夢であったり・・・

 

ここでいう「大きな岩」とは、君たちにとって一番大事なものだ。

 

それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君たちはそれを永遠に失うことになる。

 

もし君たちが小さな砂利や砂、つまり自分にとって重要性の低いものから壺を満たしていけば、君たちの人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。

 

そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果、それ自体を失うだろう。

 

「自分にとっての『大きな岩』はなんだろう?」

 

1%の努力

1%の努力

 

 

5年前の今日

 

2015年7月24日、 ちょうど5年前の今日、こんなブログを綴っていた。

 

https://norio373.hatenablog.com/entry/2015/07/24/232546

「5年後の今日」

 

 

我々は何をしているだろう?

 

 

目を瞑って、暫し想像してみたい。

 

 

今この場所で同じ仕事をしているだろうか?

異なる場所で今とは違う仕事をしているかもしれない?

仕事を辞めて人生を楽しんでいる(彷徨っている)?

 

 

それぞれの人がそれぞれの場所でそれぞれのしたいこと、するべきことをしているだろう。

 

 

5年後の今日は、

 

 

2020年7月24日。

 

 

そう、

 

 

東京オリンピックの開幕日だ。

 

 

それまでにできること、したいこと、なりたい自分を考えてみるのも面白い。

 

 

オリンピック出場を目指す一部のエリートアスリートだけでなく、我々日本人一人ひとりがその日に向けて何かを掲げ、取り組むことができれば、何か素敵なことが起こるような気がする。

 

 

今日の日本経済新聞には同社が英フィナンシャルタイムズを買収したというニュースが1面を大きく飾った。

 

 

その新聞をめくっていてふとそんな想いを馳せることになった・・・

 

 

 

5年後の今日、

 

 

5年前の今日のこのブログを読み返す自分を想像してみる。

 

 

思わず笑みがこぼれた。

 

 

5年前の今日こんなことを考えていたなんて。

 

思わず笑みがこぼれた。

 

5年後の今日はどんな世界になっているだろうか?

 

どんな自分でいるだろうか。

 

想像もつかないだけに、

 

想像してみたい。