アビリーンパラドックス
をご存じだろうか。
最近出合った言葉が妙に気になった。Wikipediaによるとこう解説されている。
このパラドックスは、経営学者ジェリー・B・ハーヴェイ (Jerry B. Harvey) が著書『アビリーンのパラドックスと経営に関する省察』The Abilene Paradox and other Meditations on Managementで提示したものである。現象の名称は、この現象を説明する小話の中でハーヴェイが用いた町の名にちなむ。以下はその要旨である。
ある八月の暑い日、アメリカ合衆国テキサス州のある町で、ある家族が団欒していた。そのうち一人が53マイル離れたアビリーンへの旅行を提案した。誰もがその旅行を望んでいなかったにもかかわらず、皆他の家族は旅行をしたがっていると思い込み、誰もその提案に反対しなかった。道中は暑く、埃っぽく、とても快適なものではなかった。提案者を含めて誰もアビリーンへ行きたくなかったという事を皆が知ったのは、旅行が終わった後だった。以上
高尚で前途洋々なプロジェクトが立ち上がる。
メンバーの誰もがその目的地に行きたい、行くべきだと思いプロジェクトは進んでいく。
幾らかの不安を抱えながらも誰もがそれを口にしない。
そして、
目的地に達した時に誰もが思う。
みんな、この場所に本当に来たかったのだろうか? と。
アビリーンパラドックスは「集団思考」の現象の一つとして考えられる。集団の動きに反対したり、流れからはみ出ることに不安感を感じることがその理由である。また、コミュニケーションが円滑に取れていない集団の中でも起こりうる。それは集団内のコミュニケーションが一定方向にしか取れていない(トップダウン)ケースでも同じ。
「出る杭は打たれる」、「和を持って尊しとする」、「年功序列」の日本では当たり前のように起こっている現象なのではないか。シャープやソニー、パナソニックなどの家電メーカーの厳しい状況ももしかすると戦略決定上アビリーンパラドックスが起こっていたのかもしれない。
自分の所属する会社や集団でアビリーンパラドックスは起こっていないだろうか。
必要だと感じた時には勇気を振り絞り、
でも、何事もないかのように、
「我々は本当にアビリーンに行くべきなのだろうか・・・」
と問いかけてみたい。