グレない副作用

「グレる」という言葉を久しく聞いていない。



非行、不良、ワル・・・



どの時代にも若者の在り余るパワーは行き先を求め、時に反社会的な行動として表れる。



最近「グレる」という言葉を聞かなくなったのは、若者のパワーが減ったこと以上に学校や社会からの抑圧が減ったからではないか。そんな考えが頭を過った。



「これをしろ!」「あれをやれ!」「こうしなければならない!」「なぜできないんだ!」・・・大人が子供に押しつけるものが多ければ多いほど、重ければ重いほど、反作用としての反発エネルギーも大きくなる。抑えつける力が強ければ強いほど、それを撥ねよけようとする力も同じだけ強くなる。逆に言えば、体制への反抗心の強い組織は体制が圧政を行っていることの表れに他ならない。



大阪市立桜宮高校の事件をきっかけに全国で体罰に関する取り締まりが厳しくなっている。学校という閉じられた世界で体罰という暴力は絶対に認められない。しかし、現実社会には物理的な暴力は今だ存在し、言葉の暴力、精神的な暴力といった目に見えない暴力は至る所にはびこっている。その暴力に立ち向かうためのエネルギーは生きていくために欠かせない。



体罰撲滅という美しく、誰も反対することのできない大義名分を推し進めた結果、子供たちの秘めているエネルギー発散の機会を奪うことになるのではないか。人間関係の更なる希薄さを進行させる一因になるのではないか。



一抹の不安を抱くのは私だけであろうか。