東日本大震災前(2011年2月)のこの国のエネルギー構成はこうだった。
原子力 31.3%
火力 63.1%
水力 5.1%
再生可能エネルギー 0.5%
それが震災後このように変化した。(2012年11月)
原子力 2.7%
火力 90.6%
水力 6.2%
再生可能エネルギー 0.6%
福島の原発事故が人々に与えた影響は計り知れない。
その周辺に暮らしていた人達は生活も仕事も生まれ育った故郷でさえも奪われてしまった。
恐れを知らぬ自惚れた一部の人々が原子力という宇宙の力を悪魔に変えてしまったのだ。
人間が制御できない力を我々が利用すべきではない、我々人間の誰も他人の生活や生まれ育った故郷を、人生そのものを奪う権利は持っていない、今回の原発事故による被害者の気持ちを察すれば、心ある限り、原発再稼働はあり得ない、という声を、悲痛な叫びをいたるところで耳にする。
ましてや原子力発電による核のゴミ問題を考えれば、議論の余地すらないように感じられる。
その当たり前の結果が上述のエネルギー構成の変化であり、ある意味健全な数値であると言える。
しかし、議論はそう単純ではない。
火力発電が9割を超える状況は問題解決の形とはならず、新たなる問題を引き起こそうとしている。
CO2の大量放出による地球温暖化の問題、石油、石炭、液化天然ガス他、化石燃料の枯渇の問題(2006年が石油供給のピークという説ほか、主たる化石燃料の資源は我々の孫の世代で枯渇すると言われている)、喫緊の課題となりつつある火力発電のための燃料調達費(液化天然ガスほか)の問題など。
火力発電の調達費は液化天然ガスだけでも震災後それ以前の倍近くの6兆円にも上り、日本経済、人々の生活にも影響を及ぼし始めている。
失われた20年からようやく脱し始めようとしていると思われる日本経済に冷水をかけるという懸念が広がっている。
これは経済と人々の命を比べる議論ではなく、両者とも究極的には人々の暮らしや尊い命に終結する話である。
問題はその同じゴールに向かってどのような道をたどるのか、どういうペースで行くのかを決めようとしているだけの話。
原発を即時全廃し、クリーンエネルギーに移行できるのならすればいい。すぐにできなくても火力発電で繋げられるのであれば繋げばいい。
しかし、現実にはそれができないからこその原発再稼働の議論なのだという気がする。
個人的には原発には反対である。
しかし、現実を考えると、安全性の確認を世界に先駆けて厳格に行う、クリーンエネルギーの研究、開発を国家プロジェクトとして支援するという条件付きで再稼働は今しばらくは必要悪として存続させなければならないのではないか。
人々の暮らしや命の尊さを考え、そして人間の強さと叡智を信じるならばこそ。
いつの日か、できれば近い将来、原子力や放射能も人智の及ぶところになることを夢見て。
2013年の月一企画「その日に備えて」の2月は、今大きな社会問題になっているエネルギー問題について考えてみた。
これが議論の終わりではなく、現状を見守りつつ、これからも他人事ではなく当事者の一人として考え続けていきたい。
月一企画2013 バックナンバー
その日に備えて −巨大地震−
http://d.hatena.ne.jp/norio373/20130131