昨日のブログの中でこんな一文を綴った。
「想定外という免罪符」が通用しないことは福島第一原発事故で痛いほど学んだではないか。
その日に備えて −国家的有事−
http://d.hatena.ne.jp/norio373/20130630
東日本大震災とそれに続く福島第一原発の事故対応では幾度となく「想定外」という言葉が使われた。
あたかも「想定外」であれば、全てが赦されるかのように。
あらゆる場面を想定し、準備をすることが彼らの仕事だったにもかかわらず。
・・・という非難をすることはたやすい。
しかし、
翻って自分の日常生活や自分の仕事をつぶさに観察してみると、そこかしこに「想定外という免罪符」が貼り付いていることに気がついた。
自分で立てた勉強計画が三日坊主に終わってしまった時
エクセサイズやダイエットの目標数値をいつの間にか見失ってしまった時
部屋をきれいに保つはずが、気がつくとめちゃくちゃになっている時
仕事が予定通りに終わらなかった時
誰かに頼んでいたことがうまくいかなかった時
与えられた数値責任が未達成に終わった時
改めて考えるとそうした時の想定は、あまりにも杜撰なものになっている。
あまい、軽々しい、考え抜かれていない・・・
昨日のブログで書いたことをもう一度自分の胸に刻もう。
他人まかせから責任感は育たない。
責任感のないところに信頼は生まれない。
信頼のない場所に誇りは存在し得ない。
その日に備えて −国家的有事−
http://d.hatena.ne.jp/norio373/20130630