ダイジェストの悲劇

 

世の中にはダイジェスト版が溢れている。

 
 
  • テレビ番組の総集編(ソチオリンピックあまちゃん総集編ほか)
  • クラシック音楽のベスト盤(これだけは聴いておきたい・・・ほか)
  • ポップ、ロックシンガーのベスト盤(数年もたたないうちにベスト盤が次々に・・・ほか)
  • 名著、長い小説のダイジェスト版(あらすじで読む・・・ほか)
  • ニュースや各種情報のまとめサイト・・・
 
 
あらゆるものに効率の良さが求められる現代社会の反映と言えるのだろうけれど、ダイジェスト版故に失われてしまうものもあるのではないだろうか。
 
 
ある観点からは逆に効率が悪くなっていることも。
 
 
例えば、
 
 
一つずつ情報を取り込み、その良し悪しを自分で取捨選択する判断力。少しずつ情報を積み上げていく粘り強さやそれを体系的に理解する力。多くの情報の中で自分にとってキラリと光るものを見つける喜び・・・
 
 
人は多くの雑多な情報に触れることで少しずつ自分の価値観を創り上げていく。そして、自分の価値観というフィルターを通して物事を見るようになり、良くも悪くもそこから自分だけに価値あるものを見つけていく。
 
 
それが生きるということであり、人生の醍醐味。
 
 
ダイジェスト版は一見効率が良く見えるけれど、所詮誰か他の人の価値観とフィルターによって選別されたものの集まりに過ぎない。
 
 
それは、とどのつまり他の誰かの価値観を丸呑みすることに過ぎず、他の誰かの人生を生きることと同義語になってしまう。
 
 
それは悲劇以外の何物でもなく、
 
 
ダイジェスト版なのに、自分が対象物をちゃんと「消化」できていないことを表している。
 
 
案外コメディに近いかも・・・