裁く者は

 

誰かを評価する人は誰かに評価される。

 

誰かからの評価から自由になるためには自分が誰かを評価することをやめる必要がある。昨日のブログでそう書いた。(誰かからの評価

 

誰かを評価をすることは誰かを裁くこと。

 

あの人はこういう人で、こういうところがある。だからこうした方がいい・・・

この人はこういう人で、ああいう面を持っているから、こう変わらなければならない・・・

 

我々は普段から当たり前のように、何の気なしに誰かを裁き、断罪する。(他愛ない噂話も仕事帰りの一杯話もこの類)

 

評価するという行為の本質は「裁く」こと。

 

裁く者は、裁かれる。

 

裁かれることから解放されたいのならば、自ら裁くことをやめる(ことから始めなければならない)

 

それが昨日のブログの結論。

 

人を裁く(=評価する)ことは、あくまで主観(自らが持っている情報と自らの価値観)的な作業。

 

他人の主観を押し付けられたらたまらない。

 

自分を他人には変えられたくないから。

 

にも拘わらず、


我々は、無意識的に、よかれと思って、誰かを裁き、断罪し、変えようとする。

 

あたかもそれが正義であると信じて。

 

裁く者は裁かれる

 

誰かを裁こう(評価、非難しよう)としたら、

 

もう一度この言葉を思い出して、

 

自分の心を戒めたい。