嫌なことがあると不機嫌になる。
それは誰もが経験すること。
でも、改めて考えると、それは嫌なことを考え続けているからであり、嫌なことに囚われて、嫌なことを抱きしめているから。
この世界に溢れる楽しいこと、面白いこと、素晴らしいことを無視して、嫌なことを自分で抱え続けるからこそ不機嫌になる。
嫌な気持ちに囚われて自己反省していた時に小学4年生の娘が言っていたことを思い出した。
「◯◯はねぇ、ロボットみたいにポジティブとネガティブがあって、自由自在にポジティブをオンにしたり、ネガティブをオンにしたりできるの」
「今日はね、ハッピーをオンにしたからとってもいいことばかりあったんだよ。あのね・・・」
と言って、とってもたくさんのハッピーを教えてくれた。
「でも、時々自動的にハッピーがオンになったり、オフになったりするの。だから気づいたらネガティブがオンになってる時もあるの」
「そんな時は、自分でハッピーをオンにしようと思ったらできるの?」
そう尋ねると、
「うん、できる」
と、嬉しくなる、でも、ちょっと心配も含んだ回答が返ってきた。
「けど、嫌なことがあったら勝手にネガティブがオンになってポジティブがオフになっちゃうの」
そっか。そだよな。まだ小学生だもんな・・・
そんな本音と安堵の息を漏らしながら
それをコントロールする訓練が成長の過程であり、
それを制御できる人を大人と呼ぶのだと、
改めて思った。
歳だけは一人前に重ねてきたけれど、そんな大人に本当になりきれているのかな、
そんなことをつらつらと考えた1日になった。
ハッピーが溢れる場所で。