勝ち負けで分かれる

 

「負けても頑張ったらそれでいいんだよ」

 

テニスで負けた小学5年生の娘にそう言うと、

 

「みんなそう言うんだけど、やっぱり勝ちたいな。勝ち負けがはっきりするのはしんどいけど、負けたら悔しいし、もっとがんばろうと思えるからその方がいいの」

 

と返ってきて、感心した。

 

「自分に立ち向かう勇気」とはまさにこれ。

 

曖昧さは日本人の良さの一つでもあるけれど、白黒つけない姿は同時になまぬるさや弱さの象徴にもなりうる。

 

だからこそ武道やスポーツが尊ばれる。

 

そこでは常に勝ち負けがはっきりしていて、勝つ者がいれば、負ける者がいる。

 

現実社会においては50メートル走をみんなで手をつないでゴールインすることはない。

 

我々は理想を目指すと同時に現実社会の厳しさも知らなければならないし、子ども時代はその準備をするための大切な期間。

 

勝ち負けがはっきり分かれる世界に身を置く経験は重要だ。

 

勝つために何ができるのか? 

何をしなければならないのか? 

そのために何をするのか?

 

それらを自分で考え、選び、やり通す。

 

そこには成長がある。

 

自分に立ち向かう勇気

 

先日来全ては自分次第であると書き続けている。(15年の経験、

 

今いる場所、今ある仕事、今ある収入、そんな環境の全ては自分次第。

 

他の誰かのせいにするのは自分と真剣に向き合っていない証拠。

誰かに責任を押し付けて現状を嘆くのは簡単だけれど、自分が何になりたいのか、何をしたいのかを真剣に考え、実際に行動するのは容易ではない。

 

なぜなら実際に行動すれば、必ず結果が出てしまうから。

 

自分のしたいこと、なりたい姿を明確にしようと口で言うのは簡単だけれど、実際に行動に移すと実現するとは限らない。むしろ、夢が叶う方が圧倒的に確率は低い。

 

夢が破れる可能性が高いのに、目標が達成されない現実を目の前に突きつけられるかもしれないのに、挑戦するには勇気が必要だ。

 

自分に立ち向かう勇気が。

 

駄目だと思っても前に進み続ける勇気、周りからやめた方がいいと言われ続けても続ける勇気、否定と非難を浴びながらもやり抜く勇気・・・

 

そして、

 

自分を信じ抜く勇気。

 

そんな勇気を信じている。

 

 

自分次第の処方箋

 

全ては自分次第である

 

ここ数日、ブログに"If it is to be, it is up to me."という英語の表現を紹介し、全ては自分にかかっていると書いた。

 

今いる環境の全ては他の何もの、誰でもない自分がしてきたことの結果。

 

それらが意識上で求めているものであろうがなかろうが関係なく、自分が選んできたことの結晶。

 

もしそれが自分が納得のいくものでないのなら、自分と真剣に向き合っていないからではないか。

 

僕はもっとできるはず、私はもっと恵まれているはず、こんなはずじゃなかった・・・

 

そんな風に感じるのならノートを広げ、ペンを持って、ここから何を目指すのか、何になりたいのか、どうなりたいのか、をどんどん書きなぐっていけばいい。

 

自分が欲しいもの、なりたい姿が明確になっていなければ実現する方がおかしいという話。

 

逆に、欲しいもの、なりたい姿が明確になれば、次は何ができるのか、何をするのかを次のページにどんどん書いていけばいい。

 

あとは頻度と締切を決めてやっていくだけだ。

 

もし欲しいもの、なりたい姿が何も思い浮かばず途方に暮れるのなら、目の前にあることを一所懸命にすればいい。

 

勉強だって家事だって仕事だって今目の前にあること、すること、しなければならないことに全力を傾ける。

 

目の前にある一つひとつのことに心を込め、最高の出来にする。

 

そうすれば必ず道は拓ける。

 

必要なのは、

 

勇気だけだ。

 

 

Up to me

 

If it is to be, it is up to me.

 

もしそうなるのならば、それは自分にかかっている。

 

全ては自分次第なのだ。

 

一昨日、昨日とそんなことを書いた。(15年の経験、制約という原動力)

 

人は知らず識らずのうちに今の自分に甘んじてしまいがち。

 

今いる場所、今ある仕事、今ある収入、今いる環境、

 

それらを親や先生、上司や会社、社会や国や時代のせいにして、

 

誰かに責任に押し付けて、

 

知らないふりをする。

 

自分に言い訳をする。

 

為せば成る

為さねば成らぬ 何事も

成らぬは人の 為さぬなりけり 

 

江戸時代の米沢藩主・上杉鷹山の言葉が思い起こされる。

 

If it is to be, it is up to me.  

 

 何かを成し遂げたいのなら、自分でやるしかない。

 

そう。

 

全てはは自分次第なのだ。

 

制約という原動力

 

完全なる自由などというものは現実世界では存在しないけれど、制約が少なければ少ないほど自由であり、望ましいという風潮がある。



制約が多くなればなるほど自由度が低下し、比例してやる気も成果も下がることがある。



他方で、制約があればあるほど燃える人もいる。



チャレンジ精神旺盛な人は制約があればあるほど、状況が厳しければ厳しいほど、逆に燃え上がる。逆境をばねにしてとてつもない成果を出したくなる。



制約こそが原動力になる。



全てはものの考え方次第。



If it is to be, it is up to me.

 

 

関連)

制約の中にある答え

雁字搦めの自由

 

 

 

 

15年の経験

 

「あの人には15年の経験がある」

 

何気なくそんな風に言うことがあるけれど、それは本当に「15年の経験」なのか、それとも「同じ1年を15回経験しているだけなのではないか」を 

 

そんな話を聞いて背筋が伸びる思いがした。

 

ある程度経験を積んでくると仕事も人生も同じことの繰り返しに陥りがち。

 

しかし、それを単なる同じことの繰り返しにせず、異なるやり方、新しい学びを得るようにすることで経験の価値は全く異なるようになる。

 

2017年もあっという間に半分が過ぎ去った。

 

いつもと同じことを同じやり方でしていないだろうか?

 

今年の経験は去年や一昨年と異なる経験を積めているだろうか?

 

If it is to be, it is up to me.

 

全ては自分次第なのだ。

 

 

 

 

抑え込んでる何か

 

言葉違いや振る舞いはどこにいるか、誰といるかで自動的に決まる。

家族といるとき、職場にいるとき、大事な取引先を訪問しているとき、

 

それぞれのシーンで使う言葉やトーン、話し方、立ち居振る舞いは当然のように変わるし、変わらなければならない。

 

それが当たり前だと思っていたし、それこそが重要なことだと信じて疑うことなどなかった。

 

しかし、そこに時間とエネルギーをかけるがあまり抑え込んでる何かがあることに気づいた。

 

感じいいこと、思いやり、丁寧さ、そんなものたちに力をかけることで押さえ込まれていたもの、奪われていたもの、

 

それは、

 

自分らしさや自分でなければできないこと、

 

そんな最も大事なことではないかと。

 

抑え込んでいた何か

 

そこに想いを充て、

 

解放するときが来た!

 

 

今日のアメリカは独立記念日のようだ。