目を合わせない

 

人と話をするときに気をつけているのは「目を合わせる」こと。

 

凝視してはいけないけれど、視線を合わせないと自信のなさが伝わったり、不信感を持たれたりするから。

 

先日あるテレビ番組に出演していた福山雅治が言っていたことが印象的だった。

 

「自分が伝えたい大切なことがある時には敢えて目を見ないようにする。というのも、相手の目を見ていると相手が何を感じているか、何を思っているかが気になってしまうし、相手が望んでいることをつい言ってしまったり、自分が本当に伝えたいことをうまく伝えられないから」

 

ハッとした。

 

確かにそうだ。

 

もちろん時と場合によるけれど、自分がどうしても伝えたい何かがある時には自分の言葉で自分の声で自分のトーンでしっかりと伝えたい。

 

それが他の何かのせいで揺らいでしまったら残念でしかない。

 

目を合わさない

 

一見ネガティブな印象を持たれるかもしれない所作を敢えてするのは集中力を高めるため。

 

自分の伝えたいことの純度を上げるためならば敢えて「目を合わせない」というのも「あり」だと思った。

 

一度試してみたい。



面白いものを探す

 

面白くないものに甘んじてはいないか。

 

本を読んでいて面白くないと感じつつも読んだ方がいいからとスピードや頻度が落ちてもやめられない、とか、

 

何気なく見始めたテレビがくだらないと感じつつついつい見続けてしまったり、とか、

 

一度始めたSNSがしんどいと感じられるようになってきたにも拘らずダラダラと続けていたり、とか、

 

惰性で続けていることは案外多い。

 

若い頃に無限にあるように感じられた時間はあっという間に過ぎ去っていった。

 

残された時間はそう多くない。

 

惰性で時を費やすほど勿体無いものはない。

 

面白くないと判断したらすぐにやめてしまえばいい。

 

面白いと思うものをどんどん探していこう。

  

面白いものを探す人生にしよう。

 

ここからは。

 

 

一瞬を切り取る -雲の流れ-

 

今年の月一企画は「一瞬を切り取る」と題して日常生活の中の一瞬を切り取り、焦点を当て感じ取るというもの。

 

今日ら8月最後の日。

 

空を眺めると突き抜けるような青空が広がっていた。

 

雲が流れている。

 

空を見上げて流れる雲を見ていると時が過ぎていくのをつい忘れてしまう。

 

風が吹いている。

 

雲が流れている。

 

生きている実感ができるのはこんな瞬間かも。

 

そんな風に感じた。

 

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一瞬を切り取る -今を感じる-

一瞬を切り取る    ー読書ー
一瞬を切り取る ー眠るー
一瞬を切り取る -歩く-
一瞬を切り取る -呼吸-  
一瞬を切り取る -髭剃り-
一瞬を切り取る -おにぎりを食べる-

しょうがないの正体

 

「しょうがないよね」「しょうがないなあ」「しょうがない・・・」

 

ふと口にしてしまう言葉。

 

「しょうがない」は「しようがない」「仕方がない」「仕方が見つからない」から来ていて、文字通り「どうしようもない」状態。

 

でも、本当にそうだろうか?

 

単に、思考停止状態に陥っているだけではないか?

 

今日のNHK朝の情報番組「あさイチ」で子どもと戦争について考える内容の中でそんな話題になった。

 

www1.nhk.or.jp

 

ミサイルが落ちてきたらしょうがないよね。戦争が始まったらしょうがないよね。僕たちでどうしようもないことだからしょうがないよね。

 

シリアで起こっている戦争のために家族と離れて暮らしているマンスール氏の言葉が重かった。

 

「誰かに家族を殺されたとしても我慢します。なぜなら私がその相手を殺せば相手の家族がまた自分の家族を殺そうとするし、それが永遠に続いてしまうからです。だから私は何もしません。」

 

無抵抗主義、非暴力主義、ガンジーの偉業を例に出さずとも頭で考え抜いたらそれが一番正しい答えなのだろう。それを自らの体験を通じてでも言い切れる氏の覚悟は重い。

 

それでも実際問題として、北朝鮮が発射したミサイルが日本の領土に着弾し、多くの死傷者を出した時、その崇高な決断を政府ができるだろうか。そう思うとそんなことは有り得ないと言わざるを得ない。仮にしたとしたら、国民が黙っていない。

 

それほど頭で考えた答えと感情は異なるということ。

 

ならばどうするのか?

 

しょうがない、仕方がない、と思考停止に陥るのではなく、少しでも前に、少しでも広く考えればいい。アイデアがどうして見つからなければ誰かに頼ればいい。一人で考えるのではなく、誰かと対話することでヒントが見つかるかもしれない。

 

しょうがない

 

そう口に出たら、もう一度他の仕方がないか、しようがないか、を考えたい。

 

誰かに相談して文殊の知恵を導き出したい。

 

しようは必ずどこかに存在する。

 

しょうがないは思考停止の証拠なのだから。

 

 

 

 

 

 

地殻変動の予感

 

今朝、北朝鮮からミサイルが発射された。

 

日本の上空を越え、襟裳岬の東約1180キロの地点に落下した。

 

直接的な被害はなかったものの全世界が騒然とした瞬間だった。

 

www.nikkei.com

 

アメリカでは前代未聞のハリケーンが猛威を振るっている。

 

news.yahoo.co.jp

 

2週間前には中国でマグニチュード7の地震が起こったばかりだ。

 

www.news24.jp

 

世界は激動の時代に入っている。

 

政治も経済も気象環境も大きな変動の時を迎えているとしか思えない。

 

そして、その変動は、我々の足元にも間違いなく及んでいる。

 

大きな地殻変動の予感がしてならない。

 

Fasten your seatbelt!(シートベルトを締めるんだ!)

 

 

日々の練習

 

娘のテニスの送り迎えをしていて思うのは、週1回1時間の練習でも子どもたちは確実に上達するということ。


もちろん上達のスピードは一人ひとり違うし、センスがあると思う子もいれば、他のことをした方がいいのではと感じる子もいる。

コーチの上手い下手もあるけれど、週1回の練習を2回にしたら上達スピードは倍以上になるのではないかと思うし、ほんの少しでも毎日練習すればどれだけ上手くなれるのだろうと思う。

現実には娘のテニスに毎日付き合うことはできないし、娘自身そこまでのめり込んでるわけではないから毎日というわけにはいかないのだが、改めて考えると中学校や高校の部活はそういうこと。

最近ではブラック部活なんて言われることもあるけれど、やり方さえ見直せばこんなに理想的な上達サポートの仕組みはなかなかない。

翻って自らのいる場所を考えてみる。

毎日仕事をしている。

そのスキルは上がっているだろうか。

上げようとしているだろうか。

総合的な仕事力、人間力はただ単に目の前の仕事や課題、トラブルに対応するだけでも上がるのだろうけれど、意図的に特定のスキルを磨こうとして取り組み、言語化して反省し、次に繋げるようにするだけで上達のスピードは圧倒的に上がるような気がする。

フォアハンド、バックハンド、サーブ、ボレーの個々のスキルアップを意識した練習を見ながら、

 

テニスを上手くなろうとしている子どもたちの週1回の練習を見ながら、

 

改めて日々の練習の大切さを思った。

 

999

 

 銀河鉄道999(劇場版)を久方ぶり観た。

 

銀河鉄道999

銀河鉄道999

 

 


 

 

 映像やキャラクターの描き方、展開に時代を感じさせるもののその世界観や問題意識、生命礼賛のテーマは古さを感じさせるどころかよりリアルに、よりシリアスに感じることができ、その作品の深さを時代を先取りした感性に感銘を受けた。

 

銀河鉄道999の999は1000になる前の一つ手前の数字。

 

大人になる前の未完成の象徴なのだという。

 

あの時子どもだった自分が年齢的にも精神的にも十分大人になったと感じるようになったのはいつだったろう。

 

それでもまだ未完成の自分がいる。

 

それは悲しむことではなく、むしろ喜ぶべきこと。

 

一つの旅が終わり、

 

今万感の想いを込めて新しい世界へ旅立つ覚悟が定まったような気がした。