しょうがないの正体

 

「しょうがないよね」「しょうがないなあ」「しょうがない・・・」

 

ふと口にしてしまう言葉。

 

「しょうがない」は「しようがない」「仕方がない」「仕方が見つからない」から来ていて、文字通り「どうしようもない」状態。

 

でも、本当にそうだろうか?

 

単に、思考停止状態に陥っているだけではないか?

 

今日のNHK朝の情報番組「あさイチ」で子どもと戦争について考える内容の中でそんな話題になった。

 

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ミサイルが落ちてきたらしょうがないよね。戦争が始まったらしょうがないよね。僕たちでどうしようもないことだからしょうがないよね。

 

シリアで起こっている戦争のために家族と離れて暮らしているマンスール氏の言葉が重かった。

 

「誰かに家族を殺されたとしても我慢します。なぜなら私がその相手を殺せば相手の家族がまた自分の家族を殺そうとするし、それが永遠に続いてしまうからです。だから私は何もしません。」

 

無抵抗主義、非暴力主義、ガンジーの偉業を例に出さずとも頭で考え抜いたらそれが一番正しい答えなのだろう。それを自らの体験を通じてでも言い切れる氏の覚悟は重い。

 

それでも実際問題として、北朝鮮が発射したミサイルが日本の領土に着弾し、多くの死傷者を出した時、その崇高な決断を政府ができるだろうか。そう思うとそんなことは有り得ないと言わざるを得ない。仮にしたとしたら、国民が黙っていない。

 

それほど頭で考えた答えと感情は異なるということ。

 

ならばどうするのか?

 

しょうがない、仕方がない、と思考停止に陥るのではなく、少しでも前に、少しでも広く考えればいい。アイデアがどうして見つからなければ誰かに頼ればいい。一人で考えるのではなく、誰かと対話することでヒントが見つかるかもしれない。

 

しょうがない

 

そう口に出たら、もう一度他の仕方がないか、しようがないか、を考えたい。

 

誰かに相談して文殊の知恵を導き出したい。

 

しようは必ずどこかに存在する。

 

しょうがないは思考停止の証拠なのだから。