議論の下地としての知識

知識がなくては何も始まらない。
議論もできない。
知識を多く持っている人間が尊敬され、重宝された時代が長く続いた。


20世紀末にインターネットが生まれ、情報革命が起こり、知識の相対
価値は以前ほど高くはなくなった。
サーチエンジンの発達でネット検索は生活の一部になり、情報を得る
コストと時間は限りなくゼロに近づいたから。


とは言え、頭の中にある知識と電脳空間に蓄積された知識はまだイコール
で結ぶことはできない。
実際問題としてネットで検索しながらの議論はできないのだ(電車男
エピソードもはるか昔のことに感じられる・・・)。


やはり知識は大事、ということになる。


語学習得の際、「単語」を知っていなければ何も始まらないのと似ている
かもしれない。


語彙が多く、言いたいことを伝えるための表現方法が豊かであればあるほど
そのものずばりを表現することができる。逆に知らなければ回りくどい表現を
しなければならない。


知識も同じ。


どのように知識を得ていくのか、そのように知識を自分の中に蓄積していくのか、
そして、蓄積した知識をどう知恵に昇華させていくのか。


そんな議論をしてみたい。


そのための知識を集めなくては!