記憶という過去


記憶という形で残っている過去はどれだけ信頼に足るものなのだろうか。



ふと、そんなことを考えた。



邪馬台国のあったとされる約1800年前のことではない。



100年企業が生まれた頃の話でもない。



昨日や一昨日のことでいい。



過去に起こったこと、感じたことは本当に現実だったのだろうか、と疑問に思うことがある。



夢の中のことだったのか、現実に起こった過去の記憶なのか・・・



境がどんどん溶けてゆく、



そんな感覚に捕らわれることがある。(インセプションのような映画が作れる?)



そもそも過去は本当に存在するのだろうか。



或いは「以前に存在した現在」を過去と呼ぶなら、その過去は思い起こされる時にのみ存在するとは考えられないだろうか。



であれば「過去は現在に存在する」ことになる。



そして、過去として思い起こされる瞬間に創り出されるのだとすると、過去は現時点で「未だ起こっていない未来」であるとも言えるのではないか。



つまり、こういうことだ。



昨日あったことは思い出されなければ存在せず、思い起こされることではじめて現在の中で創造される・・・



それが真実であるならば、



過去も未来も現在の中に含まれるということになる。




それは我々は「今という永遠を生きている」ということに他ならない。



それさえわかれば、



我々が、



大切な人を永遠に失うことは、



永遠になくなる。