みち


みち 6


みちのおわったところで
ふりかえれば
みちはそこから
はじまっています
ゆきついたそのせなかが
かえりみちをせおっている
でももどりたくない
もっとさきへ
あのやまをこえていきたい


谷川俊太郎



日本人はとかく「みち」が好きだ。



武道は言うに及ばず、人生や仕事や技術の習得には必ずと言っていいほど「みち」の概念が出てくる。



英語の歌の"My Way"はさびの部分の"I did it my way."に表されているように「自分のやり方で」という意味で使われているにもかかわらず、日本語になると"way"の「みち」に変わっている。



中国の「道教」で扱われている「道」も日本語の「みち」とは感覚が全く異なる言ってもいいほど。



日本の武道について学び始めた知り合いのドイツ人は「柔道、剣道はわかります。空手も空手道とも言いますよね? では、北海道ってどんな武道ですか?」(笑)(ネタではありません)



日本道路公団の民営化に対しての抵抗が凄まじかったのも利権問題だけではなく、日本人の「みち」に対する想いの重さが影響していたのかもしれない。(笑)



改めて立ち止まって考えてみる。



ここまでの人生の道のりを。



決して真っ直ぐな道ではなかった。



平坦なみちでもなかった。



振り返れば、新しいみちがここから始まっている。



登りみちだ。



その先には高く険しい山が聳え立っている。



越えていこう。



自分を信じて。