よくみる

 
 
よくみる
 
 
の「みる」にはこんな漢字が当てられる。
 
 
見る、観る、視る、診る、看る・・・
 
 
どんな状況でも「面白がる」大切さについて昨日のブログに書いた。
 
 
どんな状況でも「面白がる」ためには物事をよく観察する必要がある。
 
 
よく見て、観て、視て、診て、看なければならない。
 
 
「我々は見ているようで何も見ていない」
「我々は自分で見たいものだけしか見ていない」
 
 
そんな風に表現されることがある。
 
 
普段目にしている光景は単なる景色でしかなく、どこに何があったかを思い出そうとすると思い出せない。いつも目にしていたファミリーレストランにいざ行こうとするとどこだっけ?となるような話は枚挙に暇がない。
 
 
目を瞑って身の回りにある「赤色のモノ」を思い出そうとすると何も思い出せない。目を開けて改めて「赤色のモノ」を意識するとたくさんあることに気づく。
 
 
それは個人の能力の低さや見る力の欠如ではなく、単なる目の特徴。
 
 
音と同じ。
 
 
仮に全ての音を耳が拾ってしまうとうるさ過ぎて耐えられない。
 
 
人間の耳は自分で聴こうとしたものだけを聞くことができる優れものなのだ。
 
 
目も同じ。
 
 
だからこそ、
 
 
本当に頭に取り入れ、認識し、脳に焼きつけるためには「よくみる」必要がある。
 
 
身の回りにあるモノ、
 
 
状況を。
 
 
自分が何を認識したいのか、
 
 
どういう存在でありたいのか。
 
 
それを確立し、
 
 
物事を
 
 
よく見て、よく観て、よく視て、よく診て、よく看ていく。