人生の終い方(しまいかた)
というタイトルの番組を観た。(NHK)
誰だってあっちへ行くことはわかっていますが、こと切れるまでのまあ、限られた時間にですね。人生の総決算として何をしたらいいか、考え出ししたらキリがなくて止まらなくなりますよね。
番組中いろんな人が取り上げられる。自分の人生が終わりに近づいていることを知り、自分の想いを家族宛ての手紙に遺す人がいれば、長年切り盛りしていた居酒屋を畳んで死の準備をする人もいる。35歳の若さでガンを患い、小学生の子どもたちに何をどう伝えればいいか悩んでいる人もいる。
この先どんな困難に出合っても立ち向かうこと、諦めないこと。
その父親は子どもたちに何を残すのかを悩み続け、最期に「強さ」を言葉ではなく、行動で表した。
前代円楽師匠が亡くなる直前に突然(歌丸師匠に)電話をかけてきて絞り出すように、「歌さん、頼むよ」と語ったという。
それだけの言葉に秘められた想いは広く、深く、そして重たい。
「いいよ」とだけ返した歌丸師匠の覚悟もまた深く、重い。
落語会、落語自体を背負った歌丸師匠も間もなく80歳。
番組の最後に再び画面に向かって語り掛ける。
人生の終い方も十人十色。これが決まりというのはないですね。でも一生懸命生きていれば、きっと何かを遺すことになるんではないでしょうか。つまり、人生の終い方を考えるということはどう生きていくかを考えることに他ならないんではないか。最期は、高座の上で、お笑いをしゃべりながら、或いは、家族みんなとしゃべりながら、それも笑いながら終わりたいです。
人生が残り50年あろうが20年だろうが、あと1年しか残っていなかろうが、本質的には何ら変わりはない。
人生の終い方
自分の人生をどう終わらせるか、
を想像して
今をどう生きるのか、
今生をどう生き切るか、
を真剣に考えてみたい。