話せばわかる

 

「話せばわかる」

 

昭和7年に起こった五・一五事件で射殺された犬養毅首相の最期の言葉である。

 

「問答無用」と青年将校は話し合いの場を持つことはなかったけれど、たとえその場があったとしても分かり合えたかどうかは甚だ疑問である。むしろ絶対に分かり合えなかったと思えてならない。

 

話せばわかる

 

筆者自身も長い間そう思ってきたし、信じようとしてきたけれど、一人ひとりがそれまでの人生で見てきたもの、聞いてきたもの、感じてきたもの、立場や世代、所属する組織の違い、謂わば、価値観の違いにより同じ話を聞いても全く異なる結論に辿り着くということを嫌というほど体験してきた。(それ自体も主観的な見方であり、異なる意見を持つ人も少なくないだろう)

 

年末から年始にかけて話し合ってきてもなかなか理解し合えない現実を突きつけられた。

 

それでも大事なことは誠意を持って話し合いを続けること。自分の立場や思考プロセス、メリットデメリットを真摯に、誠意を尽くして伝えること。そして、相手の立場を理解しようと努めること。

 

全てを尽くしてもなお分かり合えないのであれば、それは止むを得ない。

 

それぞれの立場で最終判断を下し、後は淡々と物事を進めていくより他はない。

 

話せばわかる

 

もう一度そう信じられるよう最善を尽くしたい。

 

尽くそうではないか。

 

一縷の望みをかけて。