「子供の自由世界を侵食するもの」と題して昨日のブログではテレビゲームを槍玉に上げた。
http://d.hatena.ne.jp/norio373/20121210
自分が主人公になってゲームの世界を自由に生きているつもりでも現実には大人(開発者)の手のひらから一歩も出ていないという理由が大きい。
テレビゲームの雄と言われてきた任天堂やソニーがこれまでに経験をしたことのない苦境に立たされている。
任天堂はこの1年で売上高が4割も減り、上場来初の最終赤字に転落、株価も半値以下になっている。ソニーも1万人の削減計画が発表され、その後も株主やマーケットを納得させられる策は打ち出せないままでいる。
両社の苦境の最も大きな理由はスマートフォン(スマホ)の台頭でゲーム専用機が売れなくなってきているから。スマホでゲーム専用機に見劣りしないゲームが次々に廉価で発表されている状況を見れば、専門家でなくともゲーム専用機メーカーの苦境は容易に想像できる。しかもゲーム機にはこれまで搭載のなかった(か、或いはあっても限定的な使い方しかできなかった)GPSやネットとの接続機能がスマホにはあり、これまでのテレビゲームとは全くコンセプトの異なる機能を駆使して新境地をも広げようとしている。
一方でグリーやDeNAを代表とする携帯ゲームもプレイヤーを今もなお増やし続けている。
任天堂やソニーの苦境はゲームの限界が原因ではなく、自らの成功という限界に縛られた結果と言えるのではないか。
人が「嵌まる」要因を心理学的に突き詰め、それを実際のゲームに落とし込んでいく。「ゲーミフィケーション」という言葉も生まれ、ゲームの世界以外でも使われるようになりつつある。ゲーム自体が衰退しているわけでは決してない。
背水の陣を敷いた任天堂は先週Wii Uを発売した。2日間で31万台を売り、初代Wiiの37万台には届かぬものの上々のスタートを切ったと言える。
新商品の成否は、新しいハードとその機能を活かしたゲームの数々がどれほど消費者に受け入れられるかにかかっている。
いや、本当の成功の鍵を握っているのはどれほど任天堂社員の一人ひとりがこの背水の陣の戦いを、「ゲーム」として楽しめるかにかかっているのではないか。そんな気がした。
彼らは果たして再浮上できるのか。
ゲームをクリアすることはできるのか。