子供の自由世界を侵食するもの

昨日のブログでは「過保護な遊び場」と題して、最近の子供の遊び場は過保護過ぎることとその潜在的な危険性について考察した。
http://d.hatena.ne.jp/norio373/20121209



今日も引き続き子供の遊びについて考えてみたい。



最近の子供たちの多くが暇を見つけては家でテレビゲームをしているし、どこかへ行く時にもゲームを離さなくなってきている。



一般にテレビゲームが広がり始めたのは1980年代。ゲームセンターでしか遊べなかったゲーム機はファミリーコンピュータ、通称ファミコンと呼ばれ家庭に潜り込み、その後もスーパーファミコン、プレイステーション、X-BOX、DS、PSP、Wiiと進化を続けてきた。



ハードウェアの進化にも増してソフトウェアはその数、種類、クオリティにおいて劇的な進化を遂げた。最近では仮想現実と言われるほど現実に近づいている領域も増えてきた。



とは言え、ゲームは人間が作っている世界であることに変わりはない。子供たちが(大人も含めてだけれど)遊ぶ世界は全て大人(開発者)の想定範囲内ということになる。



アクションゲームもシミュレーションもロールプレイングゲームも全く同じ。



他方で、子供たちが自分たちだけで遊ぶ時は全てが自由な世界となる。自分たちで遊びのルールを決め、楽しさも喜びもトラブルも怪我も大人たちに怒られるリスクも全て自分たちの責任となる。



遊びを通じて自分たちの決定と行動に責任を負うことを身をもって学ぶことになる。



自由の裏側にある責任の重さを感じ取る。



どれほど創造性に富み、革新的な機能を盛り込んだゲームであっても生み出すことのできない貴重な教訓。



ゲームが子供たちの安全性を考えれば考えるほど、大人が子供たちのことを考えれば考えるほど、過保護な遊び場が子供たちの自由な世界を侵食していくことになる。



子供たちの自由世界を守るためにゲームのコンセントを抜くことから始めてみようではないか。



外の世界へ飛び出すためにも!