「パパがどうして好き嫌いが嫌いかわかる?」
こどもが出されたものを食べたくないと言ったことでひとしきり叱った後、こう質問した。
「わからない」
その答えにこんな風に答えた。
「いろんな理由があるんだけど、食べ物の好き嫌いの多い人は人の好き嫌いも多いんだ。誰かのことを好きとかあまり好きじゃないというのは誰にでもあるけど、その好き嫌いのはその人のほんの一面しか見ていないからのことが多い。例えば、この柿(テーブルの上に四角い形をした柿があったので手にとって)は横から見たら普通の柿だけど、上から見たら変わった形(四角)をしているよね。食べてみたらすっごく美味しいんだけど、それは食べてみないとわからない。一面からしか見ずに嫌いと言ったらすっごく美味しい柿を食べ損なってしまう。もったいないと思わない?人も同じ。○○もこれから大きくなっていく間にたくさんの人と出会っていくけど、その人のことをほんの少ししか知らないのに嫌いって決めつけてしまったら親友になるチャンスを失ってしまうかもしれない。今も2年生の頃嫌だった○○君とはいい友達になってるよね。同じこと。食べ物はそのためのとってもいいトレーニングになるんだ・・・」
食べ物の好き嫌いがダメな理由には、栄養のバランスとか成長のためとか、作ってくれた人への(感謝の)想い(第一次産業の方々も含めて)とかがあるけれど、なぜかその時はこんな話をしたくなった。
小学校5年生の男の子にはちょっと想像しにくかったかもしれないけれど、落ち着いてゆっくり話をすると雰囲気は掴んでくれたように思う。
表情はしゃんとして、真っ直ぐに見つめ返してくれた。
好き嫌いが嫌いな理由・・・
と、もう一度言いかけた時「嫌いな理由」という表現が一面しか見ていないのではと思ったので反射的に
「好き嫌いがよくない理由」
と言い換えた。
その理由もちゃんとわかってくれたように感じたのは気のせいか・・・