記号としての言葉

 

話をしたら聞いてもらえると思うのは大間違い。

 

人は思うほど他人の話を聞いていない。

 

たいてい他のことを考えながら片耳で聞いているか、集中していても自分の思うように、思いたいように聞き、理解する。

 

 言葉という記号の羅列に過ぎないものをいつから人は万能扱いするようになったのだろう。


「話せばわかる」

 

犬養毅の言葉は虚しく空に響き、五一五事件では青年将校らに命を奪われることとなる。


伝えたことが伝わったことには決してならない。


目に見えない、時には自分でも表現しきれない感情や思いを言葉という記号に変換する時に誤差が生まれる。それを受け取る人も言葉通りに受け取らず、その記号(言葉)を自分なりに翻訳することで話者の伝えたいことから解離し、全く別物になってしまう。


そう考えると、伝えたいことが受取人に正確に伝わるということの方が奇跡だと思う方が無難と言えまいか。


仕事上やプライベートにおいて伝えたいことを正確に伝える努力はもちろんのこと、伝えたいことが正しく伝わっているか、確認した方がよい。

 

しなければならない。

 

"Just double check before we move on."


「次に移る前に双方の理解が同じかどうか、ダブルチェックしよう」

 

仕事の同僚がそのように言っていたことが今頃になって、伝わってきた。


あ、 一番話を聞いていないのは自分かもしれない・・・(汗)