認めたくないもの

 

ラジオから流れてくる声に耳が吸い寄せられた。

 

「あなたが一番認めたくないもの。

 

それを認めることであなたは自由になれるのです。」

 

怪しい宗教の話ではなく、社会学者であり、たくさんの心理学に関する書籍を出版している加藤諦三氏が人生相談的なコーナーの冒頭部分で話されていた言葉だった。

 

今日のラジオ相談は、45歳の女性が自分の母親と10年連絡を取っていないらしく、二人の幼い娘のためにも歩み寄るべきかどうか悩んでいるという内容。

 

その理由や背景を聞いても正直なところどっちもどっちと思いつつ相談者が本当にどうしたいのか、わかっていないようだった。

 

もしかするとただ単に背中を押してもらいたいだけなのかもしれないけれど、ラジオから流れてくる話を聞きながら、大勝軒のつけ麺を食べながら、自分の「一番認めたくないもの」について思考を巡らせていた。

 

仕事上の人間関係や同僚やライバルのこと。自分のできること、できないこと。苦手なこと。避けていること・・・

 

一つずつ取り出しては、心のテーブルの上に置いて吟味する。

 

自尊心とちんけなプライドの間で想いが行き来する。

 

意識的には認めていなくても心の何処かでわかっていること、認めていないこと、でも認めるべきことが改めて葛藤という形で意識上で相撲を取る。

 

一瞬で勝負はついて次の一番が始まる。

 

その繰り返しを意識上と意識下の両方で交互に行っていく。

 

千秋楽を迎え、優勝したのは果たして誰か。

 

一番認めたくないものを見つけられたのか、見つけて認められたのか、

 

答えは自分だけが知っていればいい。