マキタのコードレス掃除機を買った。
これが革命的と言ってもいいほど簡単便利。
妻も小学6年生の娘も掃除が楽しくなったと大絶賛だ。
これまでの掃除機もコードを引っ張ってコンセントに差してというだけだったのにそれがなくなっただけでこれだけ自由になるとは驚き以外の何物でもない。
絨毯はなく、ほぼフローリングの新居ゆえ吸引力の心配はないし、バッテリーも取り外して別に充電できるので不自由さは全く感じない。
掃除機本体がコードを通じてコンセントに繋がっていただけなのにそれから解放されただけでこれほどの自由を感じるとは。
改めて考えると、携帯電話やスマートフォンが爆発的に普及したのは単なる便利さだけではなく、精神的な解放が我々の背中を押していたのかもしれない。
こんな話を子どもたちとした。
「今なりたいものはある? 前はケーキ屋さんとかピアニストとか歌手とか水中カメラマンとか未来学者とか言ってたよね。昔は何になるかはほとんど生まれた時に決まってたんだよ。農家の家に生まれたら農家、商売人の子に生まれたら商売人、武士の家なら武士っていう風に。今は自分でなりたいと思ったものになるために頑張ることができるんだ。それって当たり前のようで当たり前じゃないんだよ。」
昔は常にどこかに繋がっていた。
そこから離れたら生きていけなかった。
今はコードレスの時代。
どこにだって自由に行ける。いつだって行ける。
さあ、どこへ出掛けよう。
何をしよう。
我々はどこにも繋がれてはいないコードレスの時代を生きているのだから。