今回の栃木旅行は日光東照宮をはじめとして「想いの集まる場所」が多かった。
宗教家の方に叱られそうだけれど、神社仏閣も言ってしまえば、単なる建物の集合体に過ぎない。
それはお守りもしかり、仏像もしかり、壁に描かれた有り難い龍や鳳凰の絵もしかり。
にもかかわらず、そこに人が集まり、ありがたいと感じたり、畏怖を感じたりするのはやはりそこには何かがあるから。
言葉や図では説明しにくいけれど、時代を超えて、人種を越えて、価値観を超えて、人がそこに何かを感じるのは、そこに想いが込められているから。
最初は作り手の想いがあって、
その想いに周りの人が共鳴する。
その輪が少しずつ広がり、分厚くなり、重層的に積み重なっていくことで独自の世界観ができ、更に多くの人を惹きつける。
惹きつけられた人々が次々とそこに自分の想いを残していき、その輪は更に厚みを増し、深みを増し、世界観はその独自性と魅力を増していく。
想いの集まる場所で
そんな想いを共有することは、
自分は一人ではない、
一体感を感じられる、
そういう想いを持てることも醍醐味の一つなのかもしれない。