当たり前を疑う

 

「おー、その発想はなかった!」

 

そう言ったり、言わしめたりするための壁は常識や慣習といった「当たり前」のこと。

 

何かを効率的に進めるためには事前設定がきちんとされている必要があり、それが効率性の裏側で限界を決めてしまう。

 

昨夜家族で「オデッセイ」を観た。

 

マットデーモン扮する宇宙飛行士が火星探索中に事故で置き去りにされるというハリウッド映画だ。

 

オデッセイ(字幕版)

オデッセイ(字幕版)

 

 

限られた酸素と食料と知識(と音楽)で何とか命を繋いでいく姿に、何があっても諦めない執念に心が揺り動かされた。

 

自ら食料を作る、窓も屋根も取り外してビニールで覆う、宇宙服に穴を開ける・・・

 

当たり前を疑うことでしか絶対に思いつかない策が次々に出てくる。

 

火事場の馬鹿力もあるのだろうけれど、普段からの柔軟な発想の賜物であることは間違いない。

 

映画だから宇宙飛行士だからといって切り捨てるのではなく、我々自身も普段の当たり前を疑うことで得られるものがきっとある。

 

当たり前を疑おう。