責任分散という無責任

 

個人の小さな選択から組織の大きな決断まで誰もが判断を迫られるときがある。

 

その判断一つひとつが成否を分け、ときに責任の所在や取り方が問題となる。

 

ここでは組織内の大きな判断について考えてみたい。

 

ある程度の組織において重要な判断が求められるときはそれなりのプロセスが踏まれ、あらゆる角度から検証され、最終判断が下される。

 

複数部門の長が参加し、事前に集められた判断材料の量と質がとことん吟味され、様々な側面から議論が交わされ、一つの結論に辿り着く。

 

最終判断を行う者が最高責任者であることに異論はない。

 

しかし、集団で議論し、合意に辿り着く形で判断することで最終判断の責任者が見えづらくなることもまた事実である。

 

責任分散という無責任につながらないことを切に願う。

 

誰も責任取らない時代にならぬように。