合成の誤謬


今日は「合成の誤謬(ごびゅう)」について考えたい。



きっかけは将棋の永世名人である羽生善治さんの「大局感」の中で見つけた言葉。



もともとは経済学の用語で「ミクロの単位で最適なことが集まっても全体(マクロ)としては不本意な結果にしかならない状態」のことを指す。



何か問題が起こった時に、一人ひとりが正しいことをしたとしても全体でみると予期されたほどの成果が得られない、場合によっては状況が悪化するような結果にさえなること。



この問題は原因を特定しにくいからやっかいと言われているが、ヒントはこの例に隠されているような気がする。



「4番バッターを揃えても勝つことはできない」



一昔前のこと。ある球団が名声とお金にものを言わせて球界の4番バッターを集めたことがあった。他球団で4番を務めるほどの打者はホームランが打て、打率もよいというまさにミクロで見ると理想的な打者。そんな最強打者を集めれば、他球団を圧倒し、リーグ優勝もあっけなく決まると誰もが思っていたにもかかわらず、結果はさんざんたるものであった。



答えは、あくまで仮説に過ぎないが、組織や問題解決には役割があるということ。そして、人にはそれぞれ適性や使命があるということ。



4番バッターは4番の仕事に一番向いている打者ということであり、1番や6番を担わせるとその力が発揮できないし、役割に合った力を持っているとは限らない。先の例として何か問題が起こった時に一人ひとりが正しいことをしても予期された結果が出ないのは、全員が同じことをするからではないか。刻々と変わり続ける状況の中で問題を解決するためには、一人ひとりがそれぞれの役割を考え、得意なことを活かし、行動していくことが最適解に繋がるのではないか、そんな気がしている。



他者から学ぶ、ということはとても大切なこと。



しかし、大事なことは丸のみをするのではなく、あくまで自分なりのやり方に味付けすること。他者から学び、自分流にアレンジすることで初めて「自分のもの」にできるのだ。



ジグソーパズルの一つひとつのピースに描かれた模様は一つひとつ異なる。



だからこそ全体で大きな一つの絵となるのだ。



合成の誤謬とは、



美しいけれど同じ模様のピースを集めることから起こる問題、



という仮説をここに提出する。