西洋の没落

「西洋の没落」とは、



ドイツの文化哲学者であり歴史学者でもあるオスヴァルト・シュペングラーの1918年、1922年の著書名だ。



その最後にシュペングラーは人類の未来を「経済が思想(宗教、政治)を支配した末、西洋文明は21世紀で亡びるのである」と予言しているという。



孫引きになるが、北尾吉孝氏の「日本人の底力 世界は『わが民族の叡智』を求めている」からシュペングラーの文明についての表現を紹介しよう。(P46〜)





文明の象徴は世界都市であり、それは自由な知性の容器である。それは母なる大地から完全に離反し、あらゆる伝統的文化形態から解放されたもっとも人工的な場所であり、実用と経済的目的だけのために数学的に設計された巨像である。ここに流通する貨幣は、現実的なものにいっさい制約されることのない形式的・抽象的・知的な力であり、どのような形であれ文明を支配する。ここに群集する人間は、故郷をもたない頭脳的流浪民、すなわち文明人であり、高層の賃貸長屋のなかでみじめに眠る。彼らは日常的労働の知的緊張をスポーツ、快楽、賭博という別の緊張によって解消する。このように大地を離れ極度に強化された知的生活からは不妊の現象が生じる。人口の減少が数百年にわたって続き、世界都市は廃墟となる。知性は空洞化した民主主義とともに破壊され、無制限の戦争をともなって文明は崩壊する。経済が思想(宗教、政治)を支配した末、西洋文明は二十一世紀で亡びるのである。



なんと示唆に富んだ分析、未来予想であろうか。およそ90年前に書かれたものだが、その未来予想は予想の範疇を超えてほとんど「予言」に近い。そして、現代の誰もが認めざるを得ないほど的確に当たっている。我々はまるでシュペングラーの敷いたレールの上を破滅に向かって全速力で突っ走っているようだ。



そして、それは西洋だけの問題ではなく我々日本や急成長を続ける中国、韓国、シンガポールなどの東洋諸国も全く同じ。



誰かがブレーキをかけ、線路の切り換えを行わなければならない。



上述の北尾氏の本では、それができるのは唯一日本民族なのだという。東西文化の架け橋になり、両文化の融合こそが我々日本民族の使命なのだという。



その是非はわからないけれど、もしそうだとするとそのヒントは、西洋が生んだ文明の一つであるインターネットということになるのではないか。



あまりにも皮肉だけれど、



そんな気がしてならない。