昨日のブログでこう書いた。
世の中には絵、画など目で形を捉えることが得意な人と音を耳で捉えることに長けている人がいるのではないか。(声に惹かれる理由)
目で情報を捉えるのが得意な人を「視覚派」、耳がいい人を「聴覚派」とすると筆者は後者に部類される。そう考えると色んなことが氷解することに自分自身驚いた。(氷解しないものもあるけれど、まあ、人生それほど単純ではない。)
学生時代、教科書のどこに何が書かれてあるかを驚くほど克明に覚えている人がいた。真似しようとも到底できなかったけれど、その反面、世界史や英語は何度も何度も声に出して読むと自然に頭に入った気がする。
人の顔を覚えるのが得意な人がいる。多少髪型が変わったり、歳をとって雰囲気が変わっても全く問題なく認識し決して間違わない。驚くほどの才能だと思っていたし、これまた真似したくてもできない能力と思っていた。
何を見ても特徴をうまく捉えて上手に絵を描く人がいる。視覚から情報を得るだけでなく、それを再現するのにも秀でている。他方で、どうしてこれほど下手なのだろうと思うほど筆者の絵や字の再現能力は0に近い。音楽を聴くのは好きな方と言えるけれど、これまたその再現能力には多いに疑問の余地は残る。(汗)
不思議なもので自分ができることは他人もできると思いがち。逆に自分ができないことは他人もできないと容易に思ってしまう。
改めて考えると当たり前のことだけれど、人には得手不得手があり、好き嫌いがある。
視覚派 VS 聴覚派
それは闘いではなく、
一つの能力の座標軸。
その人がその人であるための特徴の一つ。
完璧な人間はこの世に存在しないけれど、
互いが互いの欠けているところを埋めることができれば、
「全体として完璧」
とは言えないだろうか。