昨日のブログ「幸せの形」に引き続き、今日は「不幸の形」について考えてみたい。
幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある。
トルストイの「アンナ・カレーニナ」の冒頭の言葉通り「不幸の形」を改めて考えてみると確かに様々な形が頭に浮かぶ。
犯罪や事故、飢餓や貧困、身近な暴力から内乱や国家間の戦争、
病気や怪我、生まれ持ってのハンディキャップ、心の病にそれを引き起こす抑圧や強制、拘束、自由のなさ、人を恨むこと、憎むこと、裏切り、不信、不寛容・・・
悪いことは考えれば考えるほど出てくる。
それらが「不幸な形」の大きな要因になるのも容易に想像がつく。
実際、身の回りにいる残念な家族やカップルを見ていてもこうした不安定要素が多いことは確か。
しかし、一方でこうした不安定要素を持っていても幸せな人たちもいる。
間違いなくいる。
昨日のブログで紹介した通り、幸福度を左右する外部要因が10%ほどしかないのであればなおさらだ。
ふと思った。
外部要因ではなく、
気持ちが幸不幸を決めるのならば、
悪い感情は 、
手放せばよい。
たとえどんな環境にいたとしても。
どんな仕打ちを受けたとしても。
どんなに未来が暗くても。
人は強制収容所に人間をぶち込んで全てを奪うことができるが、たったひとつ、与えられた環境でいかに振る舞うかという、人間としての最後の自由だけは奪えない。
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「不幸の形」は自分で勝手に作り上げている幻想に過ぎない。