署名と責任と誇りの関係

 
昨日のブログで「カプセルホテルでの学び」について書いた。
 
 
いろんな刺激と発見があったけれど、一番の学びはスタッフ一人ひとりが責任を持って仕事をしていること。それが質の高いサービスに表れていること。
 
 
その源泉は責任の所在が明確になっているからではないか。
 
 
ロッカーやカプセル、トイレに至るまでスタッフ個人個人の責任が明確になり、それを外側(お客様)に伝えていることでよい仕事に繋がっている。
 
 
そう感じた。
 
 
日本の良さ(の一つ)が集団主義であれば、弱さもそこにある。
 
 
個人ではなく集団の利を優先することで和が成され、チームワークが大きな力を発揮する。
 
 
逆に、集団の中では責任の所在が曖昧になり、責任感が埋没し、溶け去ってしまいがち。
 
 
それが個人名を出すことで一瞬で変わる。
 
 
背筋が伸び、
 
 
責任感が屹立する。
 
 
改めて身の周りを見渡すと個人名を冠した商品やサービスが増え始めている。
 
 
野菜や果物の生産者の名前が写真つきで出ていることも珍しくないし、新聞や雑誌の記事も署名入りのものが増え始めている。
 
 
ブランドやお店の名前にさえ個人名をあしらうところまで出てきている。
 
 
それらは全て責任の所在を明確にすることで良い仕事を創出し、顧客や社会から信頼を勝ち取ろうとする試み。
 
 
そこで働く人たちも自分の仕事に、自分たちの仕事に責任を持ち、
 
 
誇りを持つ。
 
  
そこに署名の力を感じる。
 
 
人間の尊厳の気高さを感じる。
 
 
笑顔が生まれる。