「わたしのせいじゃない」
小学6年生になる息子の授業参観に参加した。
冒頭の台詞はその授業のタイトル。
学年全体で人権について考える授業。その狙いはこう。
いじめの加害者や傍観者が身勝手な言い訳や責任転嫁をしていることに憤りを感じることができる。
周りに流されて行動することの愚かさを感じ、いじめをなくすために自分が正しいと信じる行動を取る勇気を持つことができる。
授業で使われた教材と内容はこのように解説されていた。
「わたしのせいじゃない」は14人のいじめた子、または傍観者の発言の身で構成されている外国の絵本です。いじめの中でも、傍観者の「わたしのせいじゃない」という発言を客観的に見ることによって、逆に見て見ぬふりをするのも、いじめを助長することにつながることに、気づくことが出来る教材です。
この教材を通して、もし自分がこのクラスの一員だったらどんな行動を取るのか、どういった行動をとればいいのか考えさせたいと思います。絵本に出てくるいじめの加害者傍観者が身勝手な言い訳や責任転嫁をしていることに憤りを感じながらも「いざ自分がこの場にいたらどうするのか?」と問われると、今までの経験から簡単に「助ける」とは言えない自分に気づきます。見て見ぬふりしかできない自分が、実はいじめに加担していることに気がついたとき、はじめて助ける勇気の必要性を感じることができると思います。
「かわいそう」「いけないと思ってた」「わたしのせいじゃない」・・・どんな理由もいじめられている子から見れば加害者と何ら変わりない、ということを話し合いを通して気づき、いじめをなくすためにはまず自分が何らかの行動を起こさなければならないことを学んで欲しいと思います。
我が息子は「助ける」に手を上げていて、「そう簡単なことだろうか」と内心思いつつも喜ばしく、誇りに思えた。
いじめ、パワハラ、モラハラ・・・
大人の実社会にも至る所に存在する。
単純に「哀しい」「可哀想」で終わるのではなく、それもまた人間の性(さが)として受け入れ、弱さも含めた上で何ができるのか、どう行動するのかを考えなければならない。
授業は教科書通りに進められた・・・ように思う。
小学6年生の一人ひとりが自分を客観視する機会となったはず。(教室にいる一人ひとりがそんな表情を浮かべていたのが印象的だった)
身の回りの不合理や差別を歴史的・科学的にとらえ許さない態度を育てる
我々の社会にはびこる不合理や差別を理性的に捉え、改善していくことが人類の進化になり、発展に繋がっていく。
大人も時々は道徳の授業を受けた方がいいと思った。