こうていの不足

 

こうていの不足を感じてならない。

 

「こうてい」とは、

 

肯定、行程、工程、高低・・・

 

21世紀の世界は「未来の世界」であると同時に、せちがらい世の中でもある。

 

競争激しく、常に改善が求められる。

 

それは現状を否定することから始まり、ここではないもっと良い場所を常に探し続けなけれはならない。

 

かと言って、更に良い場所への「行程」が指し示されることはなく、効率を上げるための「工程」が設計図として与えられることもない。

 

感情のある人間にも拘わらず、気分の「高低」は否定され、常に一定の気分でいることが求められる。

 

他方で、人類の進化や社会の進歩は常に現状打破、現状否定から生まれたことも事実。

 

現状を「肯定」=「満足」することなく、常に変わり続ける、進化を繰り返す者だけが生き延びられる。

 

せちがらい世の中は今に始まったことではないのかもしれない。

 

 

仕事上でも常に改善が求められ、今日よりも明日、明日よりも明後日、去年よりも今年、今年よりも来年・・・ 改善が求め続けられ、それに応え続けようと誰もが日々あがいている。

 

自分でもよくなりたいと思い、進化したいと思う。

 

しかし、辿り着きたい場所のイメージは持っても、そこへ行くための「行程」「工程」は自分でも描き切れないまま歩いていることもまた多い。

 

とぼとぼと歩いていてもゴールに辿り着けないことも珍しくない。

 

それではいけない・・・


と自分まで否定してしまう。

 

「肯定」がここでも不在になる。

 

それを周りにも求めてしまう。

 

あちらこちらで「こうてい」が不足している。

 

あ、子どもたちの小学校の「校庭」もプレハブ校舎に占領されて不足してるんだった・・・