昨日でちょうど2000日となったこのブログ。(2000)
5年半にわたり色々と日々の想いを綴ってきたけれど、ここに来てまた新たなステージを感じ始めていたところに目の覚めるような、心を抉り取られるような文章に出合った。
敬愛する経営者でありコンサルタントの鮒谷周史氏のメルマガ「平成進化論」の昨日のメルマガを(勝手に)紹介させていただこう。
■こんにちは、鮒谷です。
今日は、100回でも1000回でも、
しつこく、しつこくお伝えしたい
「人生の質の差は、意思決定基準の差」
というお話をしようと思います。
■結論から先に言うと、
あなたの今現在の経済状況も、
友人知人とのつながり方、付き合い方も、
仕事の成果も、
健康状態も、
知識や語彙の総量も、
体型も(!?)、あるいはその他、
さまざまな人生における現状は、
つまるところ、
(100%とは言いませんが)かなりの部分まで、
「あなたがどういう意思決定基準を持って
生きてきたか」
によって決定付けられてきたといえるのでは
ないでしょうか。
■これまでの人生を総括しての、
現時点に至るまでの結果が、
良い、あるいは、悪くない、
という人もあれば、
かなり悪い、相当悪い、再起困難(!?)
と思っている人もあるかもしれません。
しかしそれらは全て、
「自業自得」
です。
■ちなみに、
「自業自得」
という言葉は、
一般には悪い意味でのみ用いられることが
多いようですが、
そういう意味合いで用いているのでは
ありません。
■過去の行動の結果が
今の運命につながっている、
ということを考えると、
今の結果はみな、
「自業自得」
と言ってもよいのではないでしょうか。
(これが、いつもお伝えしている
「自責の考え方」
ということになりますね)
■さて、そのような今の結果は
どこからもたらされたか、
というと、
直接的な因果関係としては、
「自らの行動」
からもたらされたものとなります。
■たとえば、
仕事ができる身体・能力も健康もあるのに、
職につかずブラブラしていて困窮していたら、
それはそうだろうと納得されると思いますし、
暴飲暴食を繰り返して健康を害したら、
それもまた、さもありなん、
ということになるかもしれません。
■けれども、ではそうした行動をどうしてとったか、
というと、
ここで、冒頭に出てきた
「意思決定基準」
の話になるわけです。
■そもそも、
「仕事は楽しいもの」
「仕事は社会に価値をもたらすもの」
「仕事は人さまに喜んでもらうこと」
「仕事をすれば人さまから感謝される、
喜んでもらえる」
「仕事をすれば次のチャンスを頂ける」
「仕事は自分を大きく成長させてくれるもの」
「仕事と遊びが一体化する、そうなると
仕事がそのまま道楽化する」
・・・・
といった仕事についての解釈の言葉を
持っていれば、
働けるのに(採用される能力もあるのに)
定職につかずその状態が続く、
ということはないはずです。
■こうした考えを持っている人にとっては、
仕事につかない、というほどもったいないこと、
機会損失になること、残念なことはないからです。
だから、一生懸命、
関わる人に喜んでもらうために仕事をして、
それが感謝や感動を生み、
自分の成長をもたらしてもくれ、
然るべき報酬ももらえ、
経済的困難とは無縁の生活を送ることにも
なるでしょう。
■他には、人間関係においても同様で、
「人付き合いは面倒だ」
という定義を自らに与え、その意思決定基準に従うと、
周りから人が消えていくものです。
当たり前の話です。
■反対に、
「人付き合いは豊かさを生む」
「人付き合いは自らの成長を促す」
「人付き合いは知的好奇心を充たしてくれる」
「人付き合いは己の基準を引き上げてくれる」
「人付き合いは人生やキャリア、ビジネスに
イノベーションをもたらす種となる」
「情けは人のためならず」
などといった解釈を与えると、
だんだんと人間関係が豊穣なものと
なっていくはずです。
■こうしたことは挙げていけばキリがありませんが、
ここで大切なことは、
【 意思決定の基準となる言葉を持つ 】
こと。
特に、
1、質の高い言葉をたくさん持ち、さらには、
いつでも自在に取り出せるようにしておくべき
2、それらの言葉は行動に反映されるけれども、
行動と結果の間には、一定の
(場合によっては数年、十数年、数十年
といった期間での)
タイムラグが生ずることがあることを
理解しておくべき
ということです。
■実は、私(鮒谷)がこの20年近くにわたって
行ってきたことは、
(特にメルマガを書き始めてからの十数年)
ただただ、
ここまでに書いてきたことを強く意識し、
1、より質の高い言葉を、よりたくさん、
そしてより深く定着させることに注力し、
同時に、
2、それらの言葉が生み出された結果が、自らの人生・経営・ビジネス・キャリアに
どのように反映されていったかを、
自分の身体、ひいては人生を実験台としながら、
慎重かつ丁寧に検証していった、
ということに尽きます。
そのままの引用は「サボリ」のような気がしないでもないけれど、これほどまでに「ピタリ」と今の気分が表されていて、かつその見識、知見、洞察力の広がりが遥かに遠く、深いのは、これからの指針や目標になるだけにお許しいただきたい。
「圧倒的に」「ダントツに」レベルは異なるけれど、感じることを、自分の奥底にあるものを自分の言葉で表現し続けることは必ず意味がある、はず。
同じ想いを共有しているという温かい気持ちに包まれながらもビリビリとした刺激が全身を駆け巡る。
上を向き、拳を握り締め、覚悟を決めて
明日への活力に変える。
その行動と結果を夢想しながら
明日からもブログを書き続けよう。